文化・文学・芸能
佃島の盆踊り——江戸の中心部で唯一残った念仏踊り
東京都指定無形民俗文化財。三味線も笛も使わない、太鼓と唄だけの輪踊り。
江戸で唯一踊り継がれてきた盆踊り
佃島の盆踊りは、昭和51年(1976年)1月16日に東京都指定無形民俗文化財に指定された。毎年お盆の時期にあたる7月13日から15日の3日間、夕方から夜9時ごろまで行われる。会場は、赤い佃小橋を渡ってすぐの佃1丁目のメインストリートで、広場の中心に小さな櫓が組まれ、その正面には無縁仏を供養するための精霊棚が設けられる。摂津国から移住した人々が伝えたとされる念仏踊りの系譜を引き、無縁仏の供養や水難者の鎮魂を目的とする盆踊りである。
江戸幕府はたびたび風紀を理由に盆踊りを取り締まったが、佃島の盆踊りは江戸の中心部で唯一踊り続けることを許されたと伝えられ、江戸時代から現在まで絶えることなく続けられている。
太鼓と口説だけの輪踊り
三味線や笛といった鳴り物は使わない。櫓の上に立つ音頭取りが太鼓に合わせて七七調の口説(くどき)を唄い、参加者はその周りを輪になって行きつ戻りつしながら踊る。歌詞には「秋の七草」「仏供養」といった演目が伝わっている。
華やかな鳴り物を伴う一般的な盆踊りとは対照的な、静かで素朴な踊りである。この簡素さこそが、供養と鎮魂という本来の目的をよく伝えている。
住民の手で続けられてきた踊り
この踊りは、地元の保存会によって代々受け継がれてきた。観光客向けに大きく宣伝される祭りではなく、元佃に今も暮らす住民が中心となって続けている点は、老舗の佃煮店や住吉神社の祭礼が地縁組織によって支えられているのと同じ構図である。
同じ佃1丁目の中で、住吉神社の例大祭が3年に1度の華やかな船渡御であるのに対し、盆踊りは毎年欠かさず、鳴り物のない静かな形で行われる。祭礼の規模も性格も異なる2つの行事が、同じ小さな町の中で共存している。
江戸の盆踊りの多くは、なぜ失われたのか
江戸時代、盆踊りは各地で行われていたが、風紀の乱れを理由に取り締まりの対象になることが多く、都市化の進んだ江戸の中心部では次第に廃れていった。佃島の盆踊りがほぼ唯一の例外として今日まで生き延びたのは、佃島という土地の閉じた地理的条件と、住吉神社を中心とする強い地縁コミュニティが、外部からの介入を受けにくい環境を保ってきたことが大きいと考えられる。
元佃の路地がリバーシティ21の再開発から取り残されたのと同じように、佃島の盆踊りも、都市の近代化から取り残されることによって、かえって生き延びたという見方ができる。
- 中央区観光協会公式サイト「佃島の盆踊(東京都指定無形民俗文化財)」
- 複数媒体(じゃらんnet・盆踊りの世界等)による開催場所・時間の紹介記事