よくある誤解
佃島と月島、もんじゃ焼きはどっちが本当?
隣り合う二つの町の違いと、名物のルーツを整理する。
佃島と月島は同じ場所?
別の場所である。佃島は正保元年から2年(1644〜1645年)に摂津国の漁民が築いた人工島で、元佃の細い路地はこの時代の区画をそのまま伝えている。月島は、それよりずっと後の明治25年(1892年)に完成した「月島第一号埋立地」で、碁盤目状に区画された近代の埋め立て地である。隣接してはいるが、成り立ちも街路の形もまったく異なる。
もんじゃ焼きは佃島の名物?
もんじゃ焼きで知られるのは佃島ではなく、隣の月島(西仲通り商店街周辺)である。駄菓子屋の文化から発展したとされ、佃島の食としては佃煮と、かつて将軍家に献上された白魚がその中心にある。
石川島はどこにあったのか?
佃島の北隣にあった島で、江戸期には無宿人の更生施設「人足寄場」、幕末以降は「石川島造船所」が置かれた。埋め立てで陸続きになり、現在は佃の町域の一部になっている(詳しくは「石川島造船所からリバーシティ21へ」の記事を参照)。
「佃」はなぜ1丁目から3丁目まであるのか?
佃という町名がまとまったのは明治29年(1896年)で、江戸期からの佃島(現在の佃1丁目・佃2丁目北側)に、明治期の埋め立て地「新佃西町」(佃2丁目南側)・「新佃東町」(佃3丁目)が合わさってできた。同じ「佃」という町名の中に、江戸初期の埋め立て地と明治期の埋め立て地が混在していることになる。元佃と呼ばれる古い町並みが残るのは、このうち最初に埋め立てられた佃1丁目の一部だけである。
住吉神社の八角形の神輿は、なぜ珍しいのか?
一般的な神輿は四角形や六角形が多く、八角形は関東地方でも珍しい。住吉神社の宮神輿は、天皇の御座「高御座(たかみくら)」を模した形と伝えられており、単に装飾が凝っているというより、権威を象徴する特別な形として作られたと考えられている(詳しくは「住吉神社」の記事を参照)。
「元佃」とはどこを指す言葉?
「元佃」は正式な住所ではなく、地元で使われている通称である。佃という町名には江戸初期の埋め立て地と明治期の埋め立て地が混在しているため、そのうち最初に埋め立てられた古い一角、おおむね佃1丁目1〜3番の範囲を指して「元佃」と呼び分けている。本サイトで「元佃」と書くときも、この古い町並みの範囲を指している。
- 中央区観光協会公式サイト(地誌情報の複数記事を横断して確認)
- Wikipedia「佃(東京都中央区)」(町域統合の経緯を確認)