見どころ
境界線を歩く——元佃とリバーシティ21はどれだけ近いか
「区道一本」の実際の幅と、老舗の並びから最初の超高層棟までの実測距離。
境界を作ったのは、土地の持ち主の違い
元佃とリバーシティ21がこれほど対照的な姿のまま隣り合っていられるのは、開発の経緯が別々だったからである。リバーシティ21の敷地は、石川島播磨重工業という一つの企業が所有していた工場跡地であり、複雑な地権者調整なしに大規模な再開発ができた。一方、元佃(佃1丁目1〜3番)は江戸初期の移住以来、小さな宅地が世代を超えて分割・継承されてきた土地で、住吉神社を中心とする地縁コミュニティが根強く、外部からの一括買収の対象にはならなかった。
道の作られ方の違いはそのまま今も残っている。元佃側は幅1.5〜3mの路地が不規則に入り組み、行き止まりも多い。リバーシティ21側は12〜20m以上の歩車分離の計画道路で、広い歩道と公開空地が整備されている。
境界の両側で、現地で確かめられるもの
元佃側で歩いて確かめられる場所の一つが、路地の奥にひっそりと立つ「佃天台地蔵尊」(佃1丁目)である。石造りの地蔵菩薩を祀る小さな祠を、樹齢300年ともそれ以上ともいわれる大きなイチョウの木が屋根を突き抜けて立っており、江戸期から水難除けの信仰を集めてきたと伝えられている。
リバーシティ21側で確かめられるのが、IHI(旧・石川島播磨重工業)が運営する「石川島資料館」(佃1-11-8、水曜・土曜開館、入館無料)である。石川島造船所の創業から現在までの歩みを、当時の資料やジオラマ模型で紹介しており、境界の反対側にある老舗の佃煮店とは対照的な、近代産業の記憶を伝える施設になっている。
実測——老舗の並びから最初の超高層棟まで
本サイトが実座標(OpenStreetMapの位置情報)から算出したところ、田中屋・天安本店・丸久が並ぶ老舗クラスタ(おおむね佃1丁目3番付近)から、リバーシティ21で最も西寄りのスカイライトタワー(佃1-11-7)までは約180m、最も高いセンチュリーパークタワー(佃2-1-1)までは約300m離れている。
「区道一本」という表現は、老舗の裏手を東西に走る区道そのものの幅を指すなら誇張ではないが、路地の町並みから超高層棟の足元まで実際に歩くと数分かかる距離があることには注意が必要である。境界は一本の線というより、路地の密集地帯から広い歩道の敷地へと切り替わる帯状の移行区間として体感される。
住吉神社の裏手(北側)に回ると、この移行がもっとも短い距離で起きる。神社の北側参道から老舗の裏路地を抜けると、道幅が急に広がり、正面に超高層棟の足元が見えてくる——このルートが、元佃とリバーシティ21の対比をもっとも短い歩行距離で体感できる経路である。
実座標で見る位置関係
| 町名・地番のかたまり | 佃一丁目1〜3番(通称「元佃」) | 佃一丁目6〜11番・佃二丁目 |
|---|---|---|
| 道の幅 | 路地は1.5〜3m。行き止まりや直角に折れる道が多い | 歩車分離の計画道路で12〜20m以上 |
| 建物の高さ | 2〜3階建ての木造長屋・看板建築が並ぶ | 最大54階(センチュリーパークタワー)のRC造タワー |
| 土地の持ち主 | 江戸初期の移住以来、細かく分かれた民有地 | 旧石川島播磨重工業(IHI)東京工場の跡地を一括所有 |
| 象徴する場所 | 住吉神社・佃小橋・老舗の佃煮店3軒 | スカイライトタワー・センチュリーパークタワーなどの超高層棟 |
| できた時期 | 正保元〜2年(1644〜1645年)に漁民が埋め立てて成立 | 1986年着工、2010年に最後のオフィス棟が竣工(約24年) |
- OpenStreetMap Nominatim(座標取得。reports/tsukuda-history.md「Day2」節に記録)
- Wikipedia「大川端リバーシティ21」
- IHI公式サイト「石川島資料館」(所在地・開館日・入館料を実測確認)
- 複数媒体(tabiiro.jp・4travel.jp等)による佃天台地蔵尊の紹介記事