通史
佃島の成立:摂津の漁民が埋め立てた人工島
徳川家康との伝承と、正保年間の埋め立てで生まれた「元佃」の範囲。
家康と佃村漁民の伝承
佃1丁目の江戸期の姿を語るとき、必ず出てくるのが摂津国(現在の大阪市西淀川区)佃村の漁民と徳川家康を結ぶ伝承です。家康が神崎川を渡る際に佃村の漁民が舟を出したことが縁になったとする説や、本能寺の変の際に庄屋の森孫右衛門が船と食料を出したとする説があり、家康との結びつきは語られる一方で、きっかけの話は資料によって異なります。
佃村の漁民が江戸へ移った時期も、資料によって揺れます。慶長17年(1612年)に森孫右衛門と、佃村・大和田村の漁民34名が江戸に入ったとする資料もあります。本サイトでは、どれか一つを史実と断定せず、「移住の時期と経緯には複数の伝承がある」という留保つきで扱います。
正保の埋め立てと「元佃」
年代の揺れがある移住とは別に、比較的一致して語られるのが、隅田川河口の干潟を埋め立てて島を完成させた時期です。漁民たちは正保元年(1644年)に干潟を埋め立てて島を築き、故郷の名にちなんで「佃島」と名づけました。完成の翌年にあたる正保2年(1645年)までに島が整ったとする記述もあり、このあたりの年は資料により前後します。島の完成直後には住吉神社も創建されています。
後の時代に佃1丁目のさらに北側(現在のリバーシティ21の敷地を含む一帯)が石川島造船所の工場用地として使われるようになると、最初に埋め立てられたこの区域は「元佃(もとつくだ)」と呼ばれて区別されるようになります。元佃は正式な地名ではなく、佃1丁目の古い一角を指す通称です。
漁業の特権と引き換えの義務
佃島の漁民は、江戸入りのあと、税を免除され、近海で自由に漁ができるといった特権を得たと伝えられます。その代わりに、将軍家へ魚を納める献魚の役目を負っていました。大阪から毎年11月から3月ごろに江戸へ出て献魚を務める負担が重く、そのために江戸への定住を願い出たとする説明もあります。
- 中央区公式サイト「住吉神社文書」
- 大阪市公式サイト「佃漁民ゆかりの地」(city.osaka.lg.jp)
- tabi-mag.jp、eat-treat.jp、serai.jp などの紹介記事(森孫右衛門・1612年の移住説・正保元年の埋め立て・特権と献魚の記述を確認。経緯は資料により異なり、一次資料では未確認)