社寺・信仰

住吉神社——創建から続く海の信仰

正保3年の創建に、住吉三神・神功皇后・徳川家康の霊を同時に祀った経緯。

創建は正保3年、三柱を同時に奉遷

佃1丁目1番14号に鎮座する住吉神社は、元佃の埋め立てが完了した直後の正保3年(1646年)6月29日に創建された。住吉神社公式サイトの由緒によれば、摂津国佃村の田蓑神社(旧称・住吉神社)から住吉三神(底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命)の分霊を移すのと同時に、神功皇后と徳川家康の御神霊(東照御親命)も合わせて奉遷し、祭祀したとされている。

別の資料では「寛永8年(1631年)に東照大権現を合祀した」という記述も見られるが、住吉神社公式の由緒を確認する限り、家康の霊は創建時の正保3年にほかの神々と同時に祀られており、あとから合祀されたことを示す記述はない。年代の異なる複数の説を見かけた場合は、公式の由緒(創建時に同時奉遷)を優先して読むのが妥当である。

廻船問屋から篤い信仰を集めた社

神職は摂津田蓑神社の宮司の弟だった平岡権太夫好次が初代を務め、以来代々平岡家が世襲している。江戸時代、住吉神社は佃島の漁民だけでなく、社前の江戸湊に出入りする廻船問屋や、木綿・陶器を扱う問屋仲間からも航海安全の守り神として信仰された。境内に残る石造水盤や陶製扁額は、そうした広い信仰圏を今に伝える品である。

陶製の扁額、白磁に浮かぶ雲の文様

正面鳥居の上に掲げられた扁額は、縦109cm・横97cm・厚さ5cmという大きな陶製の額である。神社の扁額の多くは木製で、陶製は全国でも珍しい。白地に呉須(藍色の顔料)で額字と雲の文様を染め付けたもので、明治15年(1882年)6月に制作され、額字は有栖川宮幟仁親王の筆による。中央区民有形文化財に登録されている。

水盤舎は欅材の切妻造・瓦葺きで、明治2年(1869年)に再建され、明治44年(1911年)に改築された。欄間には、石川島の灯台と佃の渡し、帆をはった回船や網打ちの小舟、磯の景色、潮干狩りといった、当時の佃島の風景が彫刻されている。中に置かれた石造の水盤には「天保12年(1841年)白子組」の銘があり、木綿問屋の組合が寄進したものと分かる。水盤舎も中央区民有形文化財である。

3年に一度、8月6日前後の4日間にわたって執り行われる例大祭(通称「佃祭」)では、高さ約18mの大幟が氏子町内に立ち、宮神輿の渡御に先立って獅子頭が担ぎ出される「宮出し」(中央区の無形民俗文化財)が行われる。

高御座を模した八角形の神輿

祭礼の中心となる宮神輿は、通常の四角形や六角形の神輿とは異なる八角形をしている。初代は天保9年(1838年)、芝大門の宮大工・万屋利兵衛が制作したもので、天皇の御座「高御座(たかみくら)」を模した形と伝えられ、中央区の有形民俗文化財に指定されている。老朽化のため、現在の宮神輿は平成23年(2011年)に新調されたものが使われている。

神輿は台船に載せられ、囃子船・警護船とともに隅田川から晴海沖まで船団を組んで進む「船渡御」が行われる。昭和37年(1962年)までは、担ぎ手が神輿とともに隅田川へ入っていく「海中渡御」という形式だったが、安全と環境への配慮から、現在の台船による船渡御に変わった。

今も元佃の中心にある社

住吉神社の祭礼は、地元の氏子組織「佃住吉講」によって今も担われている。神社は元佃の路地の奥、住吉小橋のすぐそばに鎮座しており、老舗の佃煮店3軒も神社の周辺、歩いて1〜2分の範囲に集まる。リバーシティ21の超高層棟からも見上げられる距離にありながら、境内は木々に囲まれた静かな一角を保っている。

出典
  • 住吉神社公式サイト「由緒」「例祭」(sumiyoshijinja.or.jp)
  • 佃住吉講公式サイト(tsukuda.chuo.tokyo.jp)
  • 中央区観光協会公式サイト「住吉神社例大祭(佃祭)」
  • 中央区公式サイト「陶製住吉神社扁額」「住吉神社水盤舎」(city.chuo.lg.jp)

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