名物・食

佃煮の老舗3軒:創業年をたどると見える誤りやすさ

田中屋・天安・丸久。3軒の創業年は、和暦の見た目ほど単純ではありません。

保存食から江戸みやげへ

佃煮は、佃島の漁民が将軍家に献上する魚の残りや、東京湾の浅瀬で獲れる小魚・貝類を、塩や濃口醤油で甘辛く煮詰めて保存性を高めた自家用の惣菜がルーツとされています。冷蔵技術のない時代、水分と塩分を高めたこの煮物は数か月の保存に耐えたため、参拝客への土産や、参勤交代で江戸に来た武士が故郷へ持ち帰る品として広まりました。

幕末から明治にかけて、家庭料理だった佃煮は専門店による商品へと姿を変えていきます。現在も元佃(佃1丁目3番付近)には、江戸末期から明治にかけて創業した老舗が軒を連ねています。

3軒の創業年:公式情報で確かめる

「佃源 田中屋」は公式サイトで、現存する書籍のうち最も古いものが明治8年(1875年)のものだと説明しています。ウェブ上の紹介記事には「天保5年創業」という表記も見られますが、公式サイトの記載と食い違うため、本サイトでは公式情報にもとづき明治8年を採用します。

「天安本店」(佃1-3-14)は天保8年(1837年)の創業とされ、中央区の資料でも、同じ場所で佃煮の製造販売を続ける店として紹介されています。「つくだに丸久」は安政6年(1859年)の創業とされ、3軒のうちで最も新しい老舗にあたります。

3軒とも佃1丁目の元佃にあり、住吉神社の近くに集まっています。創業年にはばらつきがありますが、いずれも元佃の細い路地に面して今も営業を続けている点は共通しています。

同じ「佃煮」でも、店ごとに違う味

3軒は同じ元佃の一角にありながら、それぞれ独自の味を持つと紹介されています。天安本店は、創業以来少しずつ継ぎ足してきたたれで作る佃煮を看板にしています。味づくりの細部は店ごとに違うため、買い比べると違いが分かります。

佃煮の陰にあったもう一つの名物、白魚

佃島の食を語るうえで、佃煮と並んで欠かせないのが白魚です。隅田川の河口部に生息していた無色透明に近い小魚で、佃島の漁民は冬から春にかけて獲れる白魚を将軍家へ上納していたと伝えられています。頭部の形が徳川家の家紋である三つ葉葵に似て見えることから、縁起の良い魚として重宝されたという逸話が広く紹介されています。

白魚漁は佃島の漁民にとって特別な意味を持つ漁でしたが、現在の隅田川では水質や環境の変化により、かつてのような白魚漁は行われていません。佃煮が今も老舗の店先で買える名物であるのに対し、白魚は伝承の中でしか語られない、もう一つの佃島の食です。

佃煮老舗3軒の創業年を比較する年表 天安本店が天保8年(1837年)、丸久が安政6年(1859年)の創業で、田中屋は確認できる最古の記録が明治8年(1875年)であることを示す年表。 1837天安本店創業(天保8年) 1859丸久創業(安政6年) 1875〜田中屋確認できる最古記録
3軒とも佃1丁目の元佃に集まっていますが、創業年にはばらつきがあります。天安本店は天保8年(1837年)、丸久は安政6年(1859年)の創業とされます。田中屋は現存する最古の書籍が明治8年(1875年)のもので、公式サイトの記載にもとづきます。
出典
  • 佃源 田中屋 公式サイト(tsukugen.com)
  • 天安本店 公式サイト(tenyasu.jp)
  • つくだに丸久 公式サイト(marukyu-tsukudani.com)
  • 中央区郷土資料館の近代建築調査(天安本店の創業年・所在地)、テレビ東京「出没!アド街ック天国」佃の紹介ページ(御三家と創業年の紹介)。製法の細部は一次資料で確認できないため採用していない
  • 複数媒体による白魚献上の紹介記事(具体的な献上尾数など裏付けの弱い数値は本文に採用していない)

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