産業・生業
油堀川跡と首都高速9号深川線、高架の下に残る川幅
別名「十五間川」、幅28mの運河が、そのまま高架の川幅として残っています。
深川で運河の痕跡が最もはっきり見える場所の一つが、門前仲町付近を通る首都高速9号深川線の高架下です。この地点は、数値と現存する実物の両方で「運河の跡」を確かめられる、散歩の核となる場所です。
十五間川、その名が示す川幅
油堀川は、隅田川から木場方面へ東西に通じていた運河で、両岸に油問屋が集まっていたことからこの名がつきました。「十五間川」「富岡川」という別名も持ち、十五間川という呼び名は文字どおり川幅十五間、およそ28mあったことに由来します。元禄12年(1699年)に開削され、全長は約1,670mにおよびました。物資輸送を担う水路として長く使われてきましたが、昭和50年(1975年)ごろに埋め立てが完了し、水路としての役目を終えました。
高架がなぞる、かつての川幅
水路が姿を消したあと、昭和55年(1980年)2月に、その跡地の上に首都高速9号深川線が開通しました。高架の柱が等間隔で並ぶ細長い日陰の敷地(油堀川公園など)は、単なる道路の残地ではなく、かつて水が流れていた川幅28mそのものです。高架を見上げたときの「なぜこんなに真っ直ぐ、こんな幅で道路や高架が通っているのか」という違和感こそが、この場所が運河の跡であることを教えてくれます。
和倉橋の親柱、現存する実物
油堀川にはかつて、下之橋、千鳥橋、市木橋、黒亀橋、富岡橋、和倉橋、長居橋、島田橋という8つの橋が架かっていました。このうち和倉橋は昭和4年(1929年)に震災復興橋梁として竣工しましたが、昭和50年の埋め立てにより撤去されました。江東区の公式資料によれば、このとき橋の親柱2基は撤去されず、富岡八幡宮の北側、現在の首都高速道路の下にあたる位置へ移設され、保存されました。正面が3段にせり出す造形の親柱は、江東区の指定文化財として今も現地で見ることができます。運河そのものは消えても、そこに架かっていた橋の一部が実物として残っている、数少ない例です。
道路や公園の形から水路の記憶を読み取るという意味で、油堀川跡は深川の街歩きの中でも特に分かりやすい例です。