地名の由来
「深川」という地名——家康に姓を差し出した男の話
摂津から来た深川八郎右衛門の姓が、そのまま村の名前になった経緯。
深川という地名は、川や地形にちなんだものではない。ここを開拓した一人の人物の姓がそのまま村の名前になったという、やや変わった由来を持つ。
家康に地名を尋ねられた男
深川神明宮の由緒によれば、摂津国(現在の大阪府)から移り住んだ深川八郎右衛門という人物が、葦の生い茂る三角州だったこの土地を開拓していた。慶長元年(1596年)、この地を巡視した徳川家康が地名を尋ねたところ、八郎右衛門は「まだ住む人も少なく、決まった地名もありません」と答えたと伝えられている。これを聞いた家康は、八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じ、以後この一帯は「深川村」と呼ばれるようになった。
摂津から来た人々が江戸のこの土地の開発に長けていたのには理由がある。彼らは淀川河口の低湿地を干拓してきた経験を持っており、隅田川・荒川の河口に広がる同じような干潟の開拓に、その技術をそのまま生かすことができたのである。
深川神明宮、地名発祥の証
八郎右衛門は自分の屋敷内に、深く信仰していた伊勢神宮の分霊を祀る小さな祠を建てた。これが、現在も江東区森下1丁目に鎮座する深川神明宮の起源である。祭神は天照大御神で、伊勢神宮の式年遷宮のたびに、神宝や社殿の古材が譲り受けられてきたという特別な関係を持つ。八郎右衛門はその後、開拓の功績により代々深川一帯27か町の名主を務めた。
深川神明宮は、深川という地名そのものの発祥を伝える、もう一つの「現地で見られるもの」である。運河の跡を歩く前に、この地名の由来を知っておくと、なぜここが「深川」と呼ばれるのかという素朴な疑問に、はっきりと答えられるようになる。