深川めしと、失われた干潟の記憶

運河だけでなく、東京湾の干潟も深川の暮らしを形づくっていた。

ここまで見てきた運河は、深川を物流の街にした水路だ。しかしもう一つ、深川の暮らしを支えた水辺がある。深川の南側にかつて広がっていた、東京湾の干潟である。

漁師町としての深川

江戸時代の深川沖には、隅田川や荒川が運ぶ土砂によってできた広大な干潟があり、アサリやハマグリなどの貝類が豊富にとれる漁場だった。深川の漁師たちは幕府に魚介類を献上する代わりに、周辺水域での漁業権を認められていたと伝えられている。

ぶっかけ飯から炊き込みご飯へ

この地域資源であるアサリを使った料理が「深川めし」である。もともとは、船の上で手早く食事を済ませたい漁師たちが考え出した簡便な賄い食で、あさりをネギとともに味噌や醤油ベースの出汁でさっと煮て、熱いまま冷や飯にかけて食べる「ぶっかけ飯」がその原形だった。のちに、大工や職人など陸で働く人たちのために、あさりの出汁で米を炊き上げる「炊き込みご飯」の形も広まっていく。

深川めしは、干潟という消えた地形と、水運都市が生んだ労働者文化が結びついてできた、この土地固有の食文化である。運河の跡を歩いたあとに深川めしを食べると、この街が水路だけでなく、海とも近い場所だったことを思い出すきっかけになる。

出典

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