通史
深川はどうやってできたか
干潟だった土地が、運河が張り巡らされた水運都市に変わるまで。
江戸時代より前、今の江東区西部にあたる深川一帯は、隅田川と荒川の河口に広がる遠浅の干潟と湿地でした。人が住む土地としてこの場所が動き出すのは、徳川家康の江戸入りにともなうインフラ整備がきっかけになります。摂津国から移り住んだ深川八郎右衛門という人物がこの地を開拓し、その姓が地名の由来になったといういきさつは、「地名の由来」の記事で詳しく紹介しています。
天正18年(1590年)ごろ、行徳の塩田から江戸へ塩を運ぶための水路として、小名木川が開かれました。この川の開削を境に、北岸と南岸の両方で埋め立てと開墾が進んでいきます。
大火のあとの急速な埋め立て
深川一帯が本格的な市街地になるのは、明暦3年(1657年)の明暦の大火のあとです。江戸市中の復興と防火対策の一環として、幕府は深川の埋め立てを一気に進め、武家屋敷や寺社、物流を担う町人地をここへ移しました。同時に、格子状に運河(掘割)を巡らせ、水運を前提にした街区を作り上げていきます。
このとき深川に張り巡らされていた運河網は、国立国会図書館が公開する古地図をもとにROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センターが公開している「江戸マップ」の深川絵図(尾張屋版)で今も確認できます。小名木川、大横川、仙台堀川、油堀川、古石場川といった水路が、格子状に街区を区切っている様子が読み取れる資料です。さらに同センターは、この深川絵図を現代の地理院地図やGoogle Earthに重ねて表示できる「現代位置合わせ地図」も公開しています。江戸時代の水路がどの現代の街路や公園と重なるかを、自分で地図上に重ねて確かめることができる、貴重な学術データベースです。
このサイトの見方
このサイトで紹介する9つの地点のうち、小名木川、仙台堀川、古石場川、油堀川、大横川、平久川、木場は運河そのものの跡や現存する運河です。採荼庵跡と深川江戸資料館、富岡八幡宮の3地点は運河そのものではありませんが、水運と密接に結びついた場所として合わせて紹介します。運河の跡が今の深川にどんな形で残っているかを、実際に歩いて確かめられる場所を中心に見ていきます。
- 1小名木川
- 2採荼庵跡(さいとあんあと)
- 3深川江戸資料館
- 4仙台堀川親水公園
- 5古石場川親水公園
- 6油堀川跡(首都高速9号深川線)と和倉橋親柱
- 7富岡八幡宮
- 8大横川(黒船橋周辺)
- 9平久川(平久橋)
- 10木場公園
●運河(跡) ●寄り道(文脈)