文化・文学・芸能
松尾芭蕉が「おくのほそ道」へ出発した採荼庵
小名木川を舟で下って旅立った、芭蕉庵ではなく採荼庵という別の庵。
採荼庵跡そのものは運河の跡地ではありません。しかし、ここで語られる旅立ちの経路は小名木川という運河と切り離せません。運河をたどる散歩の途中に立ち寄る、水運と縁の深い寄り道として紹介します。
俳人の松尾芭蕉は、延宝8年(1680年)に日本橋の借家を離れ、深川に移り住みました。門人の杉山杉風が提供した番小屋を修復した住まいは、庭に茂ったバショウにちなんで「芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。
出発したのは「芭蕉庵」ではない
元禄2年(1689年)3月27日(新暦では5月16日)、芭蕉は門人の曾良とともに『おくのほそ道』の旅に出発します。ここでよく誤解されるのが出発の場所です。芭蕉は旅立つ前に芭蕉庵を人に譲っており、実際にこの日出発したのは、杉山杉風のもう一つの別荘「採荼庵(さいとあん)」からです。採荼庵は現在の深川1丁目付近(元木場平野町北角)にあったとされ、江東区が史跡として位置を伝えています。
芭蕉は採荼庵で門人たちと別れを惜しんだあと、舟に乗りました。その経路は、採荼庵の近くを流れていた六間堀という水路から小名木川へ出て、隅田川をのぼり、千住から奥州へと向かうものだったと伝えられています。「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家」の句は、この旅立ちの際に詠まれたものです。同行した門人の河合曾良とともに、この日から約150日、約2,400kmにおよぶ旅が始まりました。旅立ちの経路となった六間堀は、竪川と小名木川を結ぶ堀で、寛文年間にはすでに絵図に描かれている古い水路でしたが、後年埋め立てられ、今は道路や公園として利用されています。
現地で見られるもの
現在、採荼庵があった場所には、腰掛けて杖を持つ芭蕉の姿を模した石像と説明板があります。芭蕉庵そのものの跡地には別に芭蕉稲荷神社や芭蕉庵史跡展望庭園があり、隅田川と小名木川の合流点を見渡せます。「住んでいた場所」と「旅立った場所」が別々に残っているという点、そしてその旅立ちが運河を使った移動だったという点が、深川における芭蕉の足跡をたどるときに押さえておきたいポイントです。