社寺・信仰
富岡八幡宮に残る勧進相撲と伊能忠敬の記憶
和倉橋跡のすぐ南、油堀川と隣り合って400年近くこの地にある神社。
富岡八幡宮そのものは運河の遺構ではありません。だが、前の記事で見た和倉橋の親柱から歩いてすぐの距離にあり、油堀川という運河のすぐ脇で400年近く地域の中心であり続けた場所として、あわせて紹介します。
寛永4年(1627年)に創建された富岡八幡宮(深川八幡)は、深川の土地形成と地域社会の中心として長くこの地にあります。
江戸勧進相撲、発祥の地
江戸時代初期、京や大坂で始まった相撲興行はトラブルが多く、幕府によってたびたび禁止されていました。貞享元年(1684年)、幕府の許可のもとで富岡八幡宮の境内での勧進相撲が解禁され、以後およそ100年にわたって春と秋の本場所がここで開かれました。年寄制度や番付表の作成など、現代の大相撲につながる仕組みの多くが、この境内で形づくられています。境内に残る横綱力士碑をはじめとする相撲関連の碑石群は、その歴史の記録です。
伊能忠敬が旅の前に必ず参拝した神社
日本地図を作り上げた伊能忠敬は、隠居後に深川黒江町(現在の門前仲町1丁目付近)に住み、測量の旅に出るたびに、まず富岡八幡宮へ参拝してから出発したと伝えられています。平成13年(2001年)10月、大鳥居のそばに伊能忠敬の銅像が建てられました。銅像の横には、同年6月に日本が新しい世界測地系へ移行したことを記念して、全国測量設計業協会連合会が設置した三等三角点も置かれています。この三角点は、新しい座標系にもとづく日本で最初の三角点です。
水をかけ合う祭り
富岡八幡宮の例大祭「深川八幡祭り」は、寛永19年(1642年)に始まったと伝えられ、神田祭、山王祭と並ぶ江戸三大祭りの一つに数えられています。3年に一度の本祭りでは、50基を超える町会神輿が連合で渡御し、沿道の観衆が担ぎ手に清めの水を浴びせることから「水かけ祭り」の呼び名でも知られています。夏の盛り、8月15日を中心とした日程で行われるこの祭りは、運河の水を日々の暮らしに取り込んできた深川らしい行事だといえます。
運河との位置関係
富岡八幡宮の境内は、前の記事で紹介した和倉橋の親柱の、道を挟んですぐ南側にあります。油堀川という運河が生きていた時代、この神社は運河のにぎわいと隣り合わせの場所にありました。相撲と測量という、運河そのものとは別の歴史を持つ場所でありながら、その立地も、水にまつわる祭りの伝統も、水運の記憶と切り離せません。