通史
王子の通史——豪族の里から工業地帯、そして住宅地へ
豊島氏の支配から、将軍家の御用地、製紙と軍需の街を経て、今の北区へ。
豊島氏の時代から徳川の朱印地へ
中世の王子一帯は、上中里の平塚城を本拠とした豪族・豊島氏の勢力圏だった。豊島氏が滅亡したのちは、太田道灌、続いて小田原北条氏の支配下に入ったとされる。
江戸時代に入ると、「王子両社」と呼ばれた王子神社・王子稲荷神社は将軍家の庇護を受けるようになる。天正19年(1591年)、徳川家康は王子権現(王子神社)へ朱印地を寄進した。日光御成街道の沿道にあたるこの一帯は、参勤や社参の通り道としても重視された。
庶民の行楽地から、日本初の公園へ
8代将軍・徳川吉宗は、享保の改革の一環として、享保5年(1720年)ごろから飛鳥山に1,200本以上の桜を植え、元文2年(1737年)にはこの地を王子権現社へ寄進して庶民に開放した。以後、飛鳥山は江戸近郊の花見の名所として親しまれるようになる。
明治6年(1873年)1月15日、太政官布達第16号により、浅草・芝・上野・深川とともに飛鳥山が指定され、日本で最初期の公園の一つとなった。
近代化を支えた製紙業と軍需産業
明治に入ると、石神井川(音無川)の清らかな水と、台地の崖線が生む高低差を生かして、王子村に日本初の本格的な洋紙製造工場が建設された。渋沢栄一が中心となって設立したこの「抄紙会社」は、のちに日本の製紙産業の源流となる。
一方、日露戦争前後には、陸軍の銃砲・弾薬を製造する施設が十条台に集積していった。大正から昭和初期にかけて、武蔵野台地上には巨大な陸軍施設が並び、戦前の北区は23区の中でも総面積に占める軍用地の割合がもっとも高い地域の一つになったとされる。昭和20年(1945年)2月19日の空襲では、市街地とこれらの工場群が大きな被害を受けた。
北区の誕生と戦後の転用
昭和22年(1947年)3月15日、旧王子区(王子・十条・赤羽など)と旧滝野川区(滝野川・西ケ原・田端など)が統合し、現在の北区が発足した。
戦後、軍用地の跡地は公園・学校・住宅団地・文化施設へと姿を変えていく。昭和37年(1962年)には旧赤羽台団地が建設され、平成20年(2008年)には旧陸軍の建物を活用した北区立中央図書館(赤レンガ図書館)が開館した。製紙と軍需という二つの近代産業が残した土地が、今の暮らしの基盤になっている。
- 北区公式サイト(飛鳥山の沿革・太政官布達)
- 複数媒体による豊島氏支配・王子両社の朱印地の紹介記事
- 渋沢栄一関連資料(抄紙会社の設立経緯)