産業・生業

製紙業と軍需産業——王子を支えた二つの近代産業

渋沢栄一が興した製紙業と、23区で最も軍用地率が高かった軍需産業。

渋沢栄一と日本初の洋紙工場

明治5年(1872年)、大蔵省を退官した渋沢栄一は、三井組などとともに製紙会社の設立を計画・出願し、翌明治6年(1873年)2月に「抄紙会社」を設立した。実際に王子村で西洋式工場が竣工し、操業を開始したのは明治8年(1875年)のことである。計画・設立・操業開始という3つの年が近接しているため混同されやすいが、この工場が日本における本格的な洋紙製造の始まりとされる。

会社はその後、製紙会社(1876年改称)、王子製紙(1893年改称)と名を変え、昭和8年(1933年)には富士製紙・樺太工業を合併して国内シェア8割に達する規模になった。戦後の昭和24年(1949年)、過度経済力集中排除法により3社に分割され、それぞれ苫小牧製紙(現・王子ホールディングス)、十條製紙(現・日本製紙)、本州製紙(1996年に王子製紙へ合併)となった。日本製紙は今も登記上の本店を「東京都北区王子」に置いている。

23区でもっとも軍用地率が高かった街

製紙業と並んで、王子を近代産業の街にしたのが軍需産業である。日露戦争前後の弾丸不足を受け、陸軍は十条台に銃包製造所を移転し、これがのちの東京第一陸軍造兵廠へと発展した。大正から昭和初期にかけて武蔵野台地上には巨大な陸軍施設が集積し、戦前の北区は23区の中で総面積に占める軍用地の割合がもっとも高い区の一つだったとされる。王子の労働市場は、製紙業と並んで軍需産業にも大きく依存していた。

大正8年(1919年)に建設された「陸軍第一造兵廠第一製造所275号棟」は、弾丸の鉛身場・薬莢工場として使われた建物である。戦後は米軍に接収され、昭和34年(1959年)以降は陸上自衛隊十条駐屯地の275号棟として使用された。この建物が2008年にどう生まれ変わったかは、「赤レンガ図書館」の記事で詳しく紹介する。

出典
  • 渋沢栄一関連資料(抄紙会社の設立・操業年、社名変遷)
  • 北区立図書館所収資料(造兵廠・赤レンガ建物の来歴)
  • 複数媒体による戦前北区の軍用地率に関する紹介記事

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