産業・生業

平久川、新田開発の名残を伝える名前

埋め残された水路に、震災復興期の橋が架かる。木場の西を流れるもう一本の川。

大横川と交差しながら木場の西側を流れるもう一本の川が、平久川です。全長1.13kmと短いものの、その名前と橋には、この土地が埋め立て地として造成されていった経緯が刻まれています。

新田開発の名残を伝える名前

平久川は、江戸時代に右岸を「平井新田」、左岸を「久左衛門新田」と呼んでいたことから、両岸の地名を合わせて名付けられました。東京都建設局によれば全長は1.13km。大横川より南側の一帯は、明治から大正はじめにかけて埋め立てが進んだ土地で、大正3年(1914年)に市街地として深川区へ編入されています。平久川は、この埋め立ての際に水路として埋め残された川で、開削当時に近い水面の広さを今に伝えています。木場が貯木場として機能していた時代には、材木を運ぶ水路としても使われ、大横川や小名木川とあわせて、深川の運河網を面として支える役割を担っていました。

関東大震災の復興橋、平久橋

平久川に架かる平久橋は、橋梁を記録するサイトの現地調査によれば、昭和2年(1927年)に架けられた、関東大震災の復興橋梁の一つです。橋長32.0m、幅員13.4mの鋼製トラス橋で、天井の梁にあたる「上横構」を持たない構造から「ポニートラス橋」と呼ばれる、小規模な橋に適した形式が採用されています。大正12年(1923年・震災前と見られる)の地図にもこの位置に橋らしきものが確認でき、現在の橋が架けられる以前から、埋め立て地を結ぶ最初の橋がすでにあったと考えられています。歩道側に片側4か所ずつ取りつけられた、三角錐を逆さにしたような橋灯が特徴的で、トラスの三角形を意識した意匠と見られています。

埋め立てられた運河との対比

仙台堀川や古石場川、油堀川がいずれも埋め立てられて公園や高架道路に姿を変えた一方で、大横川と平久川は埋め立てられずに残りました。同じ深川の運河でありながら、一部は消えて土地の形にその記憶をとどめ、一部は今も水面のまま残っています。平久川に今も架かる震災復興橋は、埋め立て地そのものの歴史を伝える生き証人です。

出典

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