古墳と古墳時代の基礎|いつ・どこに・なぜ造られたか

最終更新: 2026年7月24日

古墳は、土を盛って築かれた古代の墓です。三世紀の半ばから六世紀の後半にかけての約四百年間が、古墳時代と呼ばれます。

古墳とは何か

古墳は、土を高く盛り上げて築いた、古代の有力者の墓です。単なる墓にとどまらず、葬られた人の力や、それを継いだ後継者の地位を、目に見える形で示す装置でもありました。大きさや形は身分の序列とも結びついており、誰がどの形のどれだけの大きさの墓を築けるかには、一定の秩序があったと考えられています。

墳丘の上や周囲には、埴輪と呼ばれる素焼きの土製品が並べられました。円筒形のものや、人物・動物・家・器財をかたどったものがあり、墓を飾るとともに、聖なる区域と外とを分けるしるしの役割があったと考えられています。土を高く盛った墳丘と、それを取り巻く埴輪の列が、古墳の見た目を特徴づけていました。

築造当時の姿は今と違う

今に残る古墳の多くは、木や草におおわれた緑の丘のように見えます。しかし築かれた当時の姿は、これとはずいぶん違っていました。

堺市の解説によれば、古墳の墳丘の斜面には石が葺かれていました。これを葺石(ふきいし)といいます。斜面の一番下には大きめの石が据えられ、面全体が石でおおわれていました。段状になった平坦な部分(テラス)や墳頂には、円筒の埴輪が横一列に並べられました。

緑の丘に見える今の姿段築・葺石・埴輪の列築造当時の姿

築造当時の姿と今の姿の対比(模式図)。築かれた当時は斜面が葺石でおおわれ、段ごとに円筒埴輪の列がめぐっていました。長い年月のあいだに葺石が土や落ち葉に埋もれ、草木が生えて、今は緑の丘のように見えます。

つまり築造当時の古墳は、斜面が一面の葺石でおおわれ、段ごとに埴輪の列がめぐる、人の手のあとがはっきりした姿をしていました。今のような緑の墳丘は、長い年月のあいだに葺石が土や落ち葉に埋もれ、草木が生えた結果の姿です。古墳を訪ねて緑の丘を目にするときは、その下に石と埴輪でおおわれた本来の姿が隠れていることを思うと、見え方が変わってきます。

埴輪の種類とうつりかわり

墳丘に並べられた埴輪は、大きく二つに分けられます。土管のような形の円筒埴輪と、ものの形をかたどった形象埴輪です。

円筒埴輪は、墳丘のテラスや頂に列をなして立てられました。堺市の解説によれば、これらは古墳のまわりを取り巻くことで、死者の世界と生きている人の世界を分けるしるしとして働いたと考えられています。

形象埴輪は、かたどる対象によってさらに分けられます。

種類かたどるもの
家形埴輪屋根をもつ建物
器財埴輪蓋(きぬがさ)や盾、武具などの道具
動物埴輪馬、犬、鳥、猪など
人物埴輪武人、巫女、農夫などの人

これらの埴輪は、はじめから出そろっていたわけではありません。円筒埴輪や壺の形の埴輪が先に現れ、やがて家や道具、鳥をかたどったものが加わり、人物や馬などの動物をかたどった埴輪は古墳時代の中ごろから多くなっていきます。人や動物の埴輪が墳丘に並ぶようになると、葬送の儀式や当時の暮らしの一場面を、土の像で表そうとしたのではないかと考えられています。

古墳時代はいつか

古墳時代は、三世紀の半ばから六世紀の後半まで、地域によっては七世紀まで続きました。前期、中期、後期と区分され、それぞれで墳形や埋葬施設、副葬品の性格が移り変わります。

分布は広い。北海道と東北北部、そして沖縄を除く、本州から九州にかけての各地に古墳が残されています。

前期・中期・後期のうつりかわり

古墳は、四百年ほどのあいだ同じように築かれ続けたわけではありません。どこに、どれくらいの大きさで、何をおさめて築いたかは、時期によって移り変わりました。

時期おおよその年代立地と規模埋葬施設副葬品の性格
前期三世紀後半〜四世紀自然の丘陵などを利用竪穴式石室鏡や玉など、祭りや呪いに関わる品
中期五世紀ごろ平地に築き、周濠をめぐらせた巨大な前方後円墳竪穴式石室鉄の武器や武具、馬具など、実用的な品
後期六世紀〜七世紀小ぶりな古墳が一か所に群れて築かれる横穴式石室が広まる品数がしだいに減っていく

前期には、前方後円墳という共通の形が成立し、鏡や玉をおさめて葬られました。中期になると古墳は最も大きくなり、大阪平野には全長二百メートルを超える巨大な前方後円墳が築かれました。くわしくは 百舌鳥・古市古墳群と仁徳天皇陵古墳 で扱います。副葬品も、祭りの品から鉄の武器や馬具へと性格を変えていきました。

後期になると、大きな前方後円墳は少なくなり、かわって小さな古墳が群れて築かれる群集墳が各地に現れます。入り口を開け閉めできる横穴式石室が広まり、一つの墓に一族を重ねて葬れるようになりました。石室と副葬品のくわしい移り変わりは 埋葬施設の移り変わり で扱います。

全国にどれだけ残るか

文化庁の統計によれば、全国の古墳と横穴墓を合わせた数は、約十六万基にのぼります。

項目数値(調査年)
全国の古墳・横穴墓約16万基(平成28年度の調査で159,623基)
最も多い都道府県兵庫県(約1万9千基)
二番目に多い都道府県鳥取県(約1万3千基)
三番目に多い都道府県京都府

この数は調査の年によって変わります。新たな発見で増えることも、消滅の確認で減ることもあるため、上の数値は調査年とあわせて見てください。文化庁の統計でも、令和三年度の調査では現存数が約十六万基とされ、年度ごとに増減があります。

なぜ各地に広がったか

古墳が列島の広い範囲に共通の設計で築かれた背景には、東アジアの動きと、大和を中心とする王権の形成があります。

朝鮮半島を通じて鉄器や技術がもたらされ、それを得る経路をめぐって各地の有力者が大和の王権と結びつきました。王権への臣従や同盟を示すしるしとして、列島に共通する形式の古墳が各地に築かれていったと考えられています。古墳の形がもつ序列については 墳形と社会の秩序 で扱います。

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