埋葬施設の移り変わり|竪穴式石室から横穴式石室へ

最終更新: 2026年6月24日

古墳の内部には、遺体を納める石室がある。この石室の作りは、古墳時代を通じて大きく変わり、その変化が誰を葬れるかという範囲を広げていった。

竪穴式石室

古墳時代の前期から中期にかけて使われたのが、竪穴式石室である。

墳丘の頂から縦に穴を掘り、そこに木の棺や粘土でくるんだ棺を据え、まわりを石で積み上げて天井石でふさぐ。棺には、木の棺のほか、石を組み合わせたり石をくりぬいたりした石棺が使われることもあった。一度ふさげば開くことはなく、ただ一人の首長を、他から隔てて葬るための施設だった。葬られた人を、特別な存在として地上から切り離す考え方が、この閉じた構造に表れている。

上から縦穴・密閉竪穴式石室玄室羨道横から出入り・追葬可横穴式石室

竪穴式石室と横穴式石室の断面(模式図)。竪穴式は墳頂から縦に穴を掘って密閉し、ひとりを葬る。横穴式は側面に入り口を開け、玄室と羨道をもち、あとから追葬ができる。

横穴式石室と追葬

古墳時代の後期になると、横穴式石室が広まる。朝鮮半島から伝わったこの形式は、墳丘の側面に入り口を開け、遺体を納める部屋へと通路でつなぐ。

遺体を納める部屋を玄室といい、そこへ通じる通路を羨道(せんどう)という。入り口を開け閉めできるため、あとから別の人を同じ石室に葬る追葬ができるようになった。

この違いは大きい。ひとりだけを隔てて葬る竪穴式に対し、横穴式では家族や一族を同じ墓に重ねて葬れる。葬るという特権が、限られた首長から、より広い層へと開かれていった。

群集墳の登場

追葬ができる横穴式石室の広まりとともに、小さな古墳が一か所に密集して築かれる群集墳が各地に現れた。古墳を築く権利が、地域の有力な層にまで広がったことを示している。長野県の大室古墳群は、石を積み上げて築く積石塚や合掌形の石室をもつ群集墳として知られる。

副葬品の移り変わり

石室に納められた副葬品も、時期とともに性格を変えた。

前期には、鏡や玉といった、祭りや呪いに関わる品が中心だった。中期以降になると、鉄製の武器や武具、馬具、須恵器といった実用的な品が増えていく。葬る人の力の示し方が、祭りをつかさどる性格から、軍事や実務を担う性格へと移ったことがうかがえる。

こうした古墳の力の頂点に立つのが、大阪の巨大な前方後円墳である。次は 百舌鳥・古市古墳群と仁徳天皇陵古墳 を見る。

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