古墳のかたち|前方後円墳と社会の序列
古墳にはいくつかの形があります。なかでも前方後円墳は最も格式の高い形とされ、その形を築けるかどうかが、葬られた人の地位を映していました。
五つの主な墳形
古墳の形は、おおまかに次のように分けられます。上から見たときの輪郭で見分けます。
古墳の主な五つの形(模式図)。上から見た輪郭で見分けます。円と方形をつないだ鍵穴形が前方後円墳で、最も格式が高いとされています。帆立貝形は前方部が短い変形にあたります。
| 墳形 | 上から見た輪郭 |
|---|---|
| 前方後円墳 | 円と方形をつないだ鍵穴の形 |
| 前方後方墳 | 方形と方形をつないだ形 |
| 円墳 | 円形 |
| 方墳 | 方形 |
| 帆立貝形古墳 | 前方部が短く、帆立貝に似た形 |
このうち前方後円墳は、英語では鍵穴形の墓を意味する keyhole-shaped tomb と呼ばれます。
前方後円墳という名の由来
「前方後円」という呼び名は、古墳が築かれた当時のものではありません。江戸時代後期の学者である蒲生君平が、著書『山陵志』のなかで名づけたものとされています。文化五年(一八〇八年)に刊行されたこの本で、蒲生君平は鍵穴形の古墳を中国の儀礼用の車になぞらえ、方形の側を前、円形の側を後ろと見立てました。
古墳の形が、車などの何かを模してつくられたという見方は、現在では否定的に受け止められています。古墳時代に、見立ての元になったような車があったわけではありません。「前方後円」はあくまで後世の学者がつけた呼び名であり、当時の用途を表すものではありません。前と後ろのどちらが正面かといった議論も残っています。
なぜ鍵穴の形なのか
円と方形をつないだ独特の形を、なぜとったのか。これについてはいくつかの見方があります。
よく知られるのは、二つの部分に役割の違いがあったとする見方です。遺体を納める石室は円い後円部の頂に設けられ、そこが葬られた人の眠る場所にあたります。これに対し、方形の前方部は、葬送の儀礼や、葬られた首長をまつる祭りを行う場だったと考えられています。一つの墳丘に、死者を納める場所と、生きた人が儀式を行う場所とが同居していることになります。
前方部の役割については、このほかにも、葬列が墳丘へ登るための通路だったとする説などがあり、一つに定まってはいません。鍵穴の形が何を意味したのかは、今も考古学の関心を集めるところです。
形が示した序列
墳形は、葬られた人の身分の序列と結びついていたと考えられています。最高の格式が前方後円墳で、以下、前方後方墳、円墳、方墳とおおまかな序列があったとされています。どの形を築けるかは、その人物が王権のなかでどの位置にいたかと関わっていました。
前方後円墳とその系統の墓は、全国におよそ五千基あるとされています。墳丘の長さが二百メートルを超えるような巨大なものになると、その多くが大和を中心とする畿内に集まります。大きな古墳ほど畿内に偏るという分布が、王権の中心がどこにあったかを物語っています。
帆立貝形という変形
帆立貝形古墳は、前方部が極端に短い、前方後円墳の変形です。完全な前方後円墳を築くことを許されなかった有力者が用いた形とする見方があります。宮崎県の西都原古墳群にある男狭穂塚は、国内最大級の帆立貝形古墳として知られています。
なお、六世紀の終わりごろになると、大きな前方後円墳は各地で造られなくなっていきます。有力者が力を示す方法が、墓の大きさから別のものへと移っていったことや、仏教の伝来などが背景にあると考えられています。前方後円墳という共通の形が広く築かれた時代は、ここで一つの区切りを迎えました。
墳形とともに古墳の性格を決めたのが、内部の埋葬施設です。