百舌鳥・古市古墳群と仁徳天皇陵古墳|呼び名と被葬者

最終更新: 2026年6月24日

大阪府堺市にある仁徳天皇陵古墳は、国内最大の前方後円墳である。二〇一九年に世界遺産となった百舌鳥・古市古墳群の中心をなす。

世界遺産の古墳群

百舌鳥・古市古墳群は、大阪府の堺市、羽曳野市、藤井寺市にまたがる古墳の集まりで、二〇一九年に世界文化遺産に登録された。大王とその一族、これを支えた人々の墓が、五世紀を中心に築かれている。

仁徳天皇陵古墳の規模

その中心が、仁徳天皇陵古墳である。堺市の資料によれば、墳丘の全長は約四百八十六メートル、後円部の高さは約三十六メートルで、三段に築かれている。墳丘のまわりには三重の濠がめぐり、周囲には小さな古墳がいくつも従う。これだけの規模を築ける力が、葬られた大王にあったことを示している。

項目数値(堺市の資料による)
墳丘の全長約486m
後円部の高さ約35.8m
築成三段
周濠三重

呼び名と被葬者をめぐって

この古墳には、二つの呼び名がある。

宮内庁は、ここを「仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵」として治定し、皇室の祖先をまつる陵墓として管理している。いっぽう考古学では、所在地の地名から大山古墳、または大仙陵古墳と呼ぶ。

葬られた人物は、考古学的には確定していない。築造の年代は五世紀とみられるが、日本書紀が伝える仁徳天皇の在位の時期とは合わないとする指摘がある。仁徳天皇の墓であるという宮内庁の治定と、被葬者は確定していないという考古学の見方の両方があり、本サイトはどちらかに断定しない。

陵墓と古墳の二つの顔

仁徳天皇陵古墳は、二つの顔をもつ。皇室の祭祀の対象である陵墓としての顔と、考古学の研究対象である古墳としての顔である。

この二重性は、訪ね方にも関わる。陵墓として宮内庁が管理する区域には立ち入れない。墳丘を間近で歩けるわけではなく、拝所から望むことになる。見学できる古墳と立ち入れない陵墓の違いは 古墳の訪ね方 で整理する。その大きさを世界の巨大墳墓と比べると、また違った姿が見えてくる。次は 世界三大墳墓の規模くらべ を見る。

← トップへ戻る