アルゲアス朝と「ギリシャ人」をめぐる問い

最終更新: 2026年7月8日

マケドニア王国は、エーゲ海の北、平野と山地からなる地に興りました。支配したアルゲアス朝は、自らをギリシャ南部に起源を持つ一族と称しました。

アルゲアス朝の起源

古代マケドニアは、エーゲ海北岸の平野と、その背後に広がる山地からなります。この地を治めた王朝をアルゲアス朝といいます。王家は、ギリシャ南部の古都アルゴスに起源を持ち、半神ヘラクレスを祖とする一族だと主張しました。この主張から、王家は「アルゴスの人々」とも呼ばれました。

この主張のもとになった話を伝えているのは、紀元前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスです。彼によれば、アルゴスを出た三人の兄弟がイリュリアを経てマケドニアの奥地に入り、そこで王の家に雇われて家畜の世話をしていました。末の弟ペルディッカスがのちにマケドニア人の最初の王となり、アレクサンドロス1世は、この人物から七代のちの王にあたるといいます。ヘラクレスの血を引くという言い方は、のちの時代の書き手にも見えます。アリアノスは、大王の宮廷にいたカリステネスの言葉として、王家はヘラクレスとアイアコスに出自を持ち、その祖先はアルゴスからマケドニアに入って以来、力ではなく法によって統治してきたのだと語らせています。

王朝が歴史の表舞台に現れるのは、紀元前5世紀の初め、アレクサンドロス1世の時代です。以後、王家はギリシャ世界との結びつきを強めていきます。

マケドニアと、アルゴスをはじめとする南部のポリスとの位置関係は、次のとおりです。

エーゲ海イオニア海地中海マケドニアテッサリアペロポネソス半島クレタ島ペラアイガイアテナイテーバイコリントスアルゴススパルタオリュンピアNマケドニア王家の都南部のおもなポリス地図データ: Natural Earth

マケドニアと南部ギリシャの位置図(北が上)。マケドニアはエーゲ海の北に位置し、王家の都ペラとアイガイ(現在のヴェルギナ)は海に近い平野にありました。南のペロポネソス半島やアッティカには、アテナイ・スパルタ・テーバイ・アルゴス・コリントスといったポリスが並びます。王家が起源を主張したアルゴスも、王が参加を望んだ競技の地オリュンピアも、この南部にあります。海岸線は Natural Earth のデータに基づき、都市の位置は実際の座標によります。当時の勢力の境は示していません。

ギリシャ人かどうかという問い

マケドニア人がギリシャ人だったのかどうかは、古代から議論のある問いでした。南部の都市国家(ポリス)に住むギリシャ人は、北方のマケドニア人を、しばしば「バルバロイ(異邦人)」と見なしました。

一方で、この王家がギリシャ人と認められた場面も伝えられています。ヘロドトスによれば、アレクサンドロス1世がオリンピアの競技に出ようとしたとき、同じ走路に立つはずのギリシャ人たちが、これは異邦人の出る競技ではないと言って彼を退けようとしました。彼が自分はアルゴスの出であることを示すと、競技を管理する審判(ヘラノディカイ)は彼をギリシャ人と判定しました。徒競走に出た彼は、一着の者と並んだとも伝えられます。ただし、この結末を記した一文は、もとのギリシャ語の読み方が古くから分かれており、はっきりとは決めがたいものです。

ただし、この話を伝えるヘロドトス自身が、この王家はギリシャ人であると明言しています。中立な記録ではなく、書き手の判断を含んだ記述として読む必要があります。

王家はギリシャ語の方言を話し、宗教や価値観を南部と共有していました。それでも、政治のかたちが市民による共同体(ポリス)ではなく、世襲の王による支配だったことが、マケドニアを「異質」と見せる一因になりました。

当時どう見られていたかを整理すると、次のようになります。

見方根拠とされたこと
ギリシャ世界の一員とみる王家がアルゴス起源を主張/ギリシャ語の方言を話す/同じ神々をまつる/オリンピック参加を認められた
異質な存在とみる南部の都市国家から「バルバロイ(異邦人)」と呼ばれた/政治が世襲の王政で、市民の共同体であるポリスとは異なる

この問いには、古代の史料そのものに立場のかたよりがあり、現代でも見方が分かれます。本サイトは、どちらか一方に断定せず、当時どう見られていたかを示すにとどめます。

ペラと宮廷文化

王家はギリシャの文化を積極的に受け入れました。都であったペラは文化の中心地となり、南部から文化人が招かれました。たとえばアテナイの悲劇作家エウリピデスは、晩年をマケドニアの王のもとで過ごし、この地で世を去ったと伝えられます。王家は南部のギリシャ人と同じ神々をまつり、その神話や祭りを共有していました。

それでも、王が大きな権限を持つ政治のかたちは、市民が話し合いで物事を決める南部のポリスとは大きく異なっていました。この違いが、マケドニアを「同じギリシャの一員」と見るか「異質な存在」と見るかの分かれ目にもなりました。次のフィリッポス2世の時代に、マケドニアはギリシャ世界の主導権を握る強国へと変わっていきます。

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