アルゲアス朝と「ギリシャ人」をめぐる問い
マケドニア王国は、エーゲ海の北、平野と山地からなる地に興った。支配したアルゲアス朝は、自らをギリシャ南部に起源を持つ一族と称した。
アルゲアス朝の起源
古代マケドニアは、エーゲ海北岸の平野と、その背後に広がる山地からなる。この地を治めた王朝をアルゲアス朝という。王家は、ギリシャ南部の古都アルゴスに起源を持ち、半神ヘラクレスを祖とする一族だと主張した。この主張から、王家は「アルゴスの人々」とも呼ばれた。
王朝が歴史の表舞台に現れるのは、紀元前5世紀の初め、アレクサンドロス1世の時代である。以後、王家はギリシャ世界との結びつきを強めていく。
ギリシャ人かどうかという問い
マケドニア人がギリシャ人だったのかどうかは、古代から議論のある問いだった。南部の都市国家(ポリス)に住むギリシャ人は、北方のマケドニア人を、しばしば「バルバロイ(異邦人)」と見なした。
一方で、アレクサンドロス1世が古代オリンピックへの参加を望んだとき、競技の審判は家系をもとに彼をギリシャ人と認め、参加を許したと伝えられる。王家はギリシャ語の方言を話し、宗教や価値観を南部と共有していた。それでも、政治のかたちが市民による共同体(ポリス)ではなく、世襲の王による支配だったことが、マケドニアを「異質」と見せる一因になった。
この問いには、古代の史料そのものに立場のかたよりがあり、現代でも見方が分かれる。本サイトは、どちらか一方に断定せず、当時どう見られていたかを示すにとどめる。
ペラと宮廷文化
王家はギリシャの文化を積極的に受け入れた。都であったペラは文化の中心地となり、南部から文化人が招かれた。たとえばアテナイの悲劇作家エウリピデスは、晩年をマケドニアの王のもとで過ごし、この地で世を去ったと伝えられる。王家は南部のギリシャ人と同じ神々をまつり、その神話や祭りを共有していた。
それでも、王が大きな権限を持つ政治のかたちは、市民が話し合いで物事を決める南部のポリスとは大きく異なっていた。この違いが、マケドニアを「同じギリシャの一員」と見るか「異質な存在」と見るかの分かれ目にもなった。次のフィリッポス2世の時代に、マケドニアはギリシャ世界の主導権を握る強国へと変わっていく。