フィリッポス2世の軍制改革と覇権

最終更新: 2026年7月3日

フィリッポス2世は、弱小だったマケドニアを、ギリシャ世界の主導権を握る強国へと変えた。その土台は、彼が築いた新しい軍隊にあった。

テーバイでの学び

フィリッポス2世は、紀元前359年から前336年までマケドニアを治めた。王になる前、彼は若いころにギリシャの都市テーバイで人質として過ごしている。世界史事典の記述によれば、その期間はおよそ3年、前367年ごろからだった。当時のテーバイは、革新的な戦術で知られていた。フィリッポスはここで、密集した歩兵部隊による戦い方を間近で学んだとされる。

軍制改革

帰国後、フィリッポスはマケドニア独自の軍制改革を進めた。中心となったのが、サリサと呼ばれる長い槍である。その長さは18から20フィート(およそ5.5から6メートル)におよんだ。兵士たちはこの長槍を構えて密集し、槍ぶすまをつくって前進した。彼はまた、部隊ごとに指揮官を置くなど、軍の編成そのものを組み替えた。長い槍を密集して構えると、敵の武器が届く前にこちらの穂先が相手に届く。フィリッポスはこの歩兵の密集部隊に、騎兵や軽装の兵を組み合わせて戦った。訓練を重ねた常備の軍は、農作業の季節にとらわれずに遠征できる強みを持っていた。

後列の長槍も前方に届き、幾重もの槍ぶすまをつくる

サリサとファランクスの模式図。長槍サリサ(約5.5から6メートル)を構えた兵が密集し、後列の槍も前方に届いて、幾重もの槍ぶすまをつくった。図は仕組みを示すもので、隊列の人数や寸法は正確ではない。

カイロネイアとコリントス同盟

強化された軍を率いて、フィリッポスはギリシャ本土へ影響力を広げた。紀元前338年のカイロネイアの戦いで、彼はアテナイとテーバイの連合軍を破り、ギリシャ本土の主導権を握った。

その後、スパルタを除くギリシャ諸都市をまとめてコリントス同盟を結成し、その盟主となった。同盟はペルシアへの遠征を決め、フィリッポスはその総司令官に選ばれた。

暗殺

しかし遠征を前にした紀元前336年、フィリッポスは護衛の一人パウサニアスによって暗殺された。事件が起きたのは、古都アイガイ(現在のヴェルギナ)であったと伝えられる。王位は、20歳のアレクサンドロス3世が継いだ。

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