マケドニアを貫く一本の年表

古代の王国から現代の北マケドニア共和国まで。「マケドニア」という名がたどった道すじを、一本の年表で一望します。

  1. 前7世紀ごろ

    エーゲ海北岸にアルゲアス朝のマケドニア王国が興る。王家はギリシャ南部に起源を持つと称した。

  2. 前5世紀初め

    ギリシャ世界との結びつきを強め、オリンピックへの参加を認められたと伝えられる。

  3. 前359〜336年

    長槍サリサと密集隊形で軍を一新し、前338年カイロネイアでギリシャ本土の主導権を握る。

  4. 前336〜323年

    アケメネス朝ペルシアを滅ぼしインダス川まで達し、ギリシャ文化を広い世界に広げた。

  5. 前323〜281年

    大王の死後、将軍たちが後継を争う。前301年イプソスでアンティゴノス1世が戦死。

  6. 前277年

    アンティゴノス2世ゴナタスがガラティア人を退けマケドニア王となり、王朝が安定する。

  7. 前168〜146年

    前168年ピュドナでローマに敗れ、前146年にマケドニアはローマの属州となる。

  8. 6〜7世紀

    東ローマ(ビザンティン)の領域となり、スラヴ人が移り住んで地域の構成が変わる。

  9. 15〜20世紀初め

    約500年にわたるオスマン帝国の統治のもと、多くの民族と宗教が入りまじる地域となる。

  10. 1945年

    第二次世界大戦後、ユーゴスラビア連邦を構成する共和国の一つとなる。

  11. 1991年

    連邦の解体にともない独立を宣言。国名をめぐってギリシャと長く対立する。

  12. 2019年

    2018年のプレスパ合意を経て国名を改称し、ギリシャとの対立が解決へ向かう。

  13. 2020年

    2020年3月、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国となる。EU加盟への歩みも続く。

年代や考古学的な比定には諸説があり、この年表は目安です。詳しい経緯と出典は各記事にあります。

古代マケドニア王国を中心に、フィリッポス2世の軍制改革、アレクサンドロス大王の東征とヘレニズム、ディアドコイの争い、ヴェルギナとペラの考古学、そして中世から現代の北マケドニア共和国と国名問題までを、信頼できる史料で確かめながらまとめています。

古代マケドニア王国
  • アルゲアス朝の起源
    マケドニア王国を興したアルゲアス朝の起源と、マケドニア人が古代ギリシャ世界でどう位置づけられたかを整理します。アレクサンドロス1世のオリンピック参加をめぐる逸話や、ギリシャ人かどうかという問いの背景を扱います。
  • フィリッポス2世
    マケドニアを一躍強国に変えたフィリッポス2世の軍制改革と、ギリシャ本土の主導権を握るまでを整理します。長槍サリサと密集隊形、カイロネイアの戦い、コリントス同盟、そして暗殺までを扱います。
  • アレクサンドロス大王
    アレクサンドロス3世(大王)の東方遠征と、それがもたらしたヘレニズムの世界を整理します。アリストテレスに学んだ青年期、アケメネス朝ペルシアの打倒、多数のアレクサンドリア建設、そしてバビロンでの死までを扱います。
  • ディアドコイとローマ
    アレクサンドロス大王の死後、将軍たち(ディアドコイ)が繰り広げた後継者戦争から、マケドニアにアンティゴノス朝が確立し、やがてローマに敗れて属州となるまでを整理します。
遺跡と実像
  • ヴェルギナとペラ
    マケドニア王国の実像を伝える二つの遺跡、初代の都アイガイ(ヴェルギナ)の王墓群と、遷都後の都ペラの出土品を整理します。ヴェルギナ第二号墓をめぐる比定の議論もあわせて扱います。
名の変遷と現代
  • 中世と名の変遷
    ローマの属州となったのち、マケドニアの地がたどった道すじを整理します。東ローマ(ビザンティン)の支配、スラヴ人の定住、そしてオスマン帝国による長い統治までを扱います。
  • 北マケドニアと国名問題
    20世紀に独立した北マケドニア共和国の歩みと、ギリシャとのあいだで長く続いた国名をめぐる問題、それを解決したプレスパ合意までを整理します。国土や社会のあらましもあわせて示します。
疑問
  • よくある疑問
    古代マケドニア王国と現代の北マケドニア共和国について、よく寄せられる疑問に、信頼できる史料にもとづいて答えます。ギリシャとの関係、大王の帝国、国名問題などを扱います。