考古学が語る王国:ヴェルギナとペラ
文献だけでなく、地中から現れた遺物も、マケドニア王国の姿を伝えます。とりわけヴェルギナの王墓群は、王国の富と美術の水準を今に示しています。
アイガイの王墓群
初代の都アイガイ(現在のヴェルギナ)は、王家にとって特別な場所でした。史料によれば、都がペラへ移ったあとも、アイガイは重要な地でありつづけました。
1977年、この地の大きな墳丘の内部から、盗掘を受けていない王墓が見つかりました。墓には黄金の納骨箱(ラルナクス)が納められ、その蓋にはアルゲアス朝の象徴とされる星(太陽)の意匠が描かれていました。これらの墓は、後の時代に築かれた大きな墳丘の下に隠されて残ったと考えられています。盗掘を受けていない王墓が見つかることはめずらしく、この発見は世界の注目を集めました。
ヴェルギナの王墓の模式図。大きな墳丘の下に王墓が隠され、黄金の納骨箱(ラルナクス)が納められていました。蓋にはアルゲアス朝の象徴とされる星(太陽)の意匠が描かれていました。図は仕組みを示すもので、光線の数や寸法は正確ではありません。
第二号墓は誰の墓か
見つかった墓のうち、第二号墓が誰のものかは、長く議論されてきました。
ギリシャの考古学者のあいだでは、これをフィリッポス2世の墓とする見方が有力です。この説の根拠の一つは、フィリッポス2世が史料の伝える目の負傷を負っていたことと、頭骨に見られるとされた傷の跡を結びつける議論でした。一方で、この比定には批判もあります。人類学者のアントニス・バルツィオカスは、2000年に科学誌『サイエンス』に発表した研究で、頭骨の眼窩を調べ直したところそうした負傷の痕は認められないとして、この骨はフィリッポス2世ではなく、その息子でアレクサンドロス大王の異母の兄弟にあたるフィリッポス3世アリダイオスのものだと論じました。
このように、有名な遺物でも「誰のものか」は確定していないことがあります。本サイトは第二号墓を、フィリッポス2世の墓とする有力な説があるが異論もある、という形で紹介します。
墓のなかには、第三号墓(王子の墓)と呼ばれるものもあります。ここには十四歳ほどの若い王族の遺骨が銀の壺に納められており、アレクサンドロス大王の子アレクサンドロス4世のものと考えられています。こうした未盗掘の墓の出土品は、記録の少ない王国の暮らしや美意識を、じかに伝えてくれます。
都ペラ
アイガイからマケドニアの都となったペラは、道を碁盤の目のように通した、計画的に整えられた都市でした。ここからは、自然の小石を敷きつめて絵を表した床のモザイクが多数出土しています。
ペラのモザイクには、狩りの場面や神話の情景が生き生きと描かれています。これらは、テッセラと呼ばれる四角い小片を並べる後世の技法よりも前の、自然の小石だけで明暗を表した初期のモザイクとして知られています。王国の宮廷が高い美術の水準を持っていたことを、これらの作品は今に伝えています。その技法や題材は、後の時代の美術にも受けつがれていったと考えられています。