産業・生業
渋沢栄一と抄紙会社——日本の洋紙製造の始まり
出願・設立・操業開始、3つの年を混同しないための王子製紙業の起点。
政府を辞して実業界へ——渋沢栄一の関わり
書籍や新聞に不可欠な洋紙の国産化が必要と考えていた渋沢栄一は、明治5年(1872年)、大蔵省の役人だったころから製紙会社の設立を計画した。当時は官職にあったため発起人にはならなかったが、大蔵省を辞して実業界に転じたのちに社務を委託され、のちに取締役会長に就任している。
会社は明治6年(1873年)2月、「抄紙会社」として設立された。工場用地は石神井川と街道が通る王子村に決まり、鹿島岩蔵の請負で飛鳥山の麓に建設が進められた。設立から数年をかけて工場が竣工し、印刷用紙・筆記用紙の製造を開始したのは明治8年(1875年)12月16日のことである。出願(1872年)・設立(1873年)・操業開始(1875年)という3つの年が近接しているため混同されやすいが、この工場が日本における本格的な洋紙製造の始まりとされる。
抄紙会社から日本製紙へ——150年の社名変遷
会社はその後、製紙会社(1876年改称)、王子製紙(1893年改称)と名を変え、昭和8年(1933年)には富士製紙・樺太工業を合併して国内シェア8割に達する規模になった。戦後の昭和24年(1949年)、過度経済力集中排除法により3社に分割され、それぞれ苫小牧製紙(現・王子ホールディングス)、十條製紙(現・日本製紙)、本州製紙(1996年に王子製紙へ合併)となった。日本製紙は今も登記上の本店を「東京都北区王子」に置いている。
製紙業と入れ替わるように王子で存在感を増したのが、陸軍造兵廠を中心とする軍需産業である。同じ王子の近代化が、平時の紙づくりと戦時の兵器づくりという、対照的な二つの顔を持っていたことになる。
出典
- 公益財団法人渋沢栄一記念財団「王子の製紙場」
- 王子ホールディングス公式サイト沿革