産業・生業
渋沢栄一と抄紙会社:日本の洋紙製造の始まり
出願・設立・操業開始、3つの年を混同しないための王子製紙業の起点。
渋沢栄一が勧めた洋紙の国産化
洋紙の国産化に商機を見た渋沢栄一は、政府の御為替方だった三井組・小野組・島田組に、株式組織での製紙事業を勧めたとされています。明治5年(1872年)11月に三井治郎右衛門ら12名が発起人となって会社の創立を出願し、明治6年(1873年)2月に資本金15万円の「抄紙会社」が設立されました。発起人に渋沢の名はなく、渋沢は大蔵省に籍を置きながら、のちに会社の事務を委託された立場でした。
工場は王子村に置かれ、印刷用紙・筆記用紙の製造を始めたのは明治8年(1875年)12月16日です。出願(1872年)・設立(1873年)・操業開始(1875年)という3つの年が近接しているため混同されやすいですが、この工場が日本における本格的な洋紙製造の始まりとされています。王子が選ばれた理由には、工業用水を引けることや、石神井川・隅田川の舟運が使えることが挙げられています。
抄紙会社から3社分割まで
会社は明治26年(1893年)に「王子製紙」へ改称し、木材パルプを求めて北海道や樺太へ進出しました。昭和8年(1933年)5月には富士製紙・樺太工業を合併し、洋紙生産の8割以上を占める規模になりました。戦後の昭和24年(1949年)8月、過度経済力集中排除法にもとづき3社に分割され、苫小牧製紙(現・王子ホールディングス)、十條製紙、本州製紙となりました。本州製紙は平成8年(1996年)に王子製紙と合併しています。
製紙業と入れ替わるように王子で存在感を増したのが、陸軍造兵廠を中心とする軍需産業です。同じ王子の近代化が、平時の紙づくりと戦時の兵器づくりという、対照的な二つの顔を持っていたことになります。
出典
- 紙の博物館の資料(抄紙会社の設立・開業式の日付、王子を選んだ理由を確認)
- 会社銀行八十年史・苫小牧市の市史編さん資料(発起人と渋沢の立場を確認)
- 王子ホールディングスの沿革を紹介する資料(1893年改称・1933年合併・1949年分割を確認)。工事の請負人、渋沢の役職、中間の改称年は確認できていない