被災したエリアを歩く

谷中小学校周辺、3月4日の空襲が集中した一角。

3月4日の空襲でもっとも被害が集中したのは、谷中小学校を中心とする一角、当時の地名でいう三崎町、真島町、初音町4丁目にあたる区域でした。

三四真地蔵尊

戦後、昭和23年(1948年)、この3町の有志によって、3町の戦災死者70余名を永久に供養するための地蔵尊が建立されました。総務省の記録による正式名称は「三四真地蔵尊」で、三崎町、初音町、真島町という3つの町名から1字ずつを取って名付けられています。読みは「みしまじぞうそん」ですが、漢字は「三島」ではなく「三四真」であることに意味があります。現在、台東区立初音児童遊園に安置されています。

本龍寺と鹿島湯

このエリアでは、本堂下の防空壕に避難していた住民が犠牲になったと伝えられる本龍寺や、不忍通り沿いにあった銭湯「鹿島湯」の跡地も、当時の被害を物語る場所として語り継がれています。

隣接する低地との地続き

このエリアは、谷中の中でも文京区千駄木との境界、つまり不忍通りに近い低地寄りの一角にあたります。谷中の大部分を守った台地の地形が、この一角では十分に働かなかったことが、被害が集中した一因と考えられます。

被災エリアの年表の図 1945年3月4日の空襲から、昭和23年の三四真地蔵尊の建立、現在までの年表。 1945年3月4日谷中小学校周辺が空襲を受ける 1948年戦災死者70余名を供養する地蔵尊を建立 現在初音児童遊園に安置
空襲の被害が集中した三崎町・真島町・初音町4丁目の有志が、3年後に三四真地蔵尊を建てました。いまも台東区立初音児童遊園に安置されています。
出典

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