記事一覧
谷中の寺町形成から、震災と空襲、戦後の街並み保存運動までをまとめた8本の記事の一覧です。
- 谷中はなぜ寺町になったのか:幕府の防災政策が、農村地帯を50を超える寺院が並ぶ寺町に変えました。
- 関東大震災と谷中、被害を分けた台地と低地:同じ台東区の中でも、地形の高さの違いが被害を大きく分けました。
- 東京大空襲と3月4日空襲、谷中への影響の違い:谷中は「あの」大空襲を免れた一方で、別の日の空襲では被害を受けています。
- 被災したエリアを歩く:谷中小学校周辺、3月4日の空襲が集中した一角。
- 焼け残ったエリアを歩く:谷中4丁目から6丁目、谷中霊園の周辺に今も残る戦前の町並み。
- 谷中霊園と徳川慶喜の墓:天王寺の境内地から始まった、都立霊園と寺院墓地が入り組む場所。
- 戦後の街並み保存運動、谷根千の始まり:焼け残った町並みを守ったのは、住民自身の活動でした。
- まとめ、谷中はなぜ残ったのか:単なる幸運ではなく、地形と都市の作りが重なった結果。
- 「谷中」という地名:二つの台地に挟まれた低地:上野台地と本郷台地の間の谷間が、そのまま地名になりました。
- 天王寺:五重塔のモデルになった寺:幸田露伴の小説の題材になった塔は、昭和32年に焼失しました。
- 瑞輪寺:家康の学問師範が開いた寺:日本橋馬喰町から移った、江戸十祖師の一つ。
- 観音寺:現存する築地塀:瓦と粘土を交互に積んだ、全長37.6mの練塀。
- 諏方神社:創祀年代は決着していない:日暮里・谷中の総鎮守。承久の乱後説と平安後期説があります。
- 谷中生姜と羽二重団子:「谷中」を名乗る名物の本当の産地:谷中生姜も羽二重団子も、実は台東区谷中の外で生まれた名物。
- 石屋と植木職人、そして旧吉田屋酒店:寺町を支えた石材業と園芸の技術、今も残る江戸期の酒屋建築。
- 岡倉天心と日本美術院:谷中に置かれた美術運動の拠点:東京美術学校を辞した天心が、谷中初音町の自邸に開いた研究所。
- 正岡子規と子規庵:句会・歌会を主宰した8年半:下根岸の借家は、空襲で焼けたのち間取りのまま再建されました。
- 三遊亭圓朝と全生庵の幽霊画:怪談噺を支えた約50幅:「三遊派中興の祖」の墓所に伝わる、円山応挙らの幽霊画コレクション。
- 朝倉彫塑館・岡倉天心記念公園・カヤバ珈琲:寺町に点在する見どころ:彫刻家のアトリエ、美術運動の跡地、大正建築の喫茶店。
- よくある誤解、谷中生姜・羽二重団子・谷根千・五重塔:「谷中」を冠する名物や呼び名について、よくある疑問に答えます。