戦後の街並み保存運動、谷根千の始まり

焼け残った町並みを守ったのは、住民自身の活動でした。

戦災を免れた谷中は、高度経済成長期の大規模な再開発や幹線道路の建設からも外れ、大正から昭和初期の細い路地や木造の町家がそのまま残り続けました。しかし、それが「保存すべき歴史的な景観」として広く注目されるようになるまでには、住民自身の活動が必要でした。

『谷根千』の創刊

1984年、地域住民である森まゆみらによって、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』、通称『谷根千』が創刊されました。この雑誌は、路地空間や住文化の歴史的な価値を見直すきっかけとなり、「谷根千」という地域の呼び名を広く定着させました。

まちづくり団体の広がり

続いて1989年には、都市計画の研究者や芸術家によるまちづくりグループ「谷学校」が設立されました。2000年代以降は、NPO法人たいとう歴史都市研究会などの団体が、古い建物を再生して活用する取り組みを進めています。大正5年建築の木造町家を活かした喫茶店の保存や、彫刻家の旧居の保全と公開は、その代表的な成果として知られています。

戦火を免れた町並みは、その後この住民運動によって、壊されずに使い続けられる町並みへと引き継がれていきました。

谷根千の創刊から住民運動の広がりまでの年表の図 戦火を免れた町並みを守った住民運動の広がりを、地域雑誌『谷根千』創刊から現在までの年表で示す図。 1984地域雑誌『谷根千』創刊 1989まちづくり「谷学校」設立 2000年代〜歴史都市研究会が古建物を再生
焼け残った町並みは、昭和59年(1984年)の地域雑誌『谷根千』創刊、平成元年(1989年)の「谷学校」設立を経て、2000年代以降はNPO法人による古建物の再生・活用へとつながっています。
出典

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