焼け残ったエリアを歩く

谷中4丁目から6丁目、谷中霊園の周辺に今も残る戦前の町並み。

被災したエリアから少し歩くと、景色は一変します。谷中4丁目や6丁目、谷中霊園の周辺、そして谷中銀座となる一帯は、震災でも空襲でも壊滅的な延焼を免れ、戦前の木造家屋や寺町の景観が今も広く残っています。

谷中銀座、闇市を起源とする商店街

観光地として知られる谷中銀座商店街は、戦後の復興期に自然発生した闇市や露店群をルーツに持っています。全長約170メートルの通りに約60店舗が軒を連ね、当初は周辺住民の生活を支える近隣密着型の商店街でした。日暮里駅側から商店街へ下る石段は36段あり、平成2年(1990年)、地域雑誌の編集者だった森まゆみによって「夕やけだんだん」と名付けられてから、夕景の名所として知られるようになりました。

寺院の境内に残る痕跡

この一帯には、明暦の大火のあと谷中へ移転してきた寺院が今も密集しています。谷中とひとつながりの寺町として語られる西日暮里の経王寺には、20世紀の震災や空襲より半世紀以上前、慶応4年(1868年)の上野戦争で新政府軍の攻撃を受けた際の銃撃の弾痕が、天保7年(1836年)建立の山門に今も残っています。震災でも空襲でも焼けなかったこの一帯は、それより古い戦乱の痕跡も同時に伝えている場所です。

焼け残った一帯に重なる時間の図 天保7年の経王寺山門の建立、慶応4年の上野戦争の弾痕、戦後の谷中銀座の闇市、平成2年の夕やけだんだんの命名までの年表。 1836経王寺山門建立 1868上野戦争で弾痕 戦後谷中銀座闇市が起源 1990夕やけだんだん命名
震災でも空襲でも壊滅を免れた一帯には、戦前より古い戦乱の痕跡と、戦後に育った商店街が、同じ歩ける範囲に重なっています。
出典

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