東京大空襲と3月4日空襲、谷中への影響の違い
谷中は「あの」大空襲を免れた一方で、別の日の空襲では被害を受けています。
谷中の戦災を理解するうえで押さえておきたいのは、1945年3月10日の東京大空襲では大きな被害を免れた一方、それに先立つ3月4日の空襲では谷中自身が被害を受けているという事実です。この2つを混同すると、谷中の戦災史は正しく理解できません。
3月10日、谷中は主目標の外側にあった
3月10日未明の東京大空襲は、浅草区や下谷区東部、本所区、深川区といった東部の低地帯を主な標的にした焼夷弾による絨毯爆撃でした。下谷区の低地部は焼け野原になりましたが、台地上の谷中地区はこの主爆撃目標の外側にあり、火災の広がりから隔てられていました。
3月4日、谷中自身が受けた被害
しかし1945年(昭和20年)3月4日午前8時40分ごろ、谷中地区はB29爆撃機による空襲を受けています。台東区の公式資料によれば、この空襲による被害は死傷約500人、全半壊家屋約200戸にのぼります。当日は小雪が降る天候で、投下されたのは焼夷弾ではなく主に爆薬爆弾だったとされ、広域に燃え広がる火災ではなく、爆弾が落ちた場所を中心とした局地的な破壊にとどまりました。
3月10日の東京大空襲全体では、一夜で10万人以上が犠牲になったとされています。その規模と比べると、3月4日の空襲による谷中の死傷約500人という数字は小さく見えるかもしれません。しかし谷中にとっては、この局地的な一撃こそが、地区の中に「壊滅した一角」と「ほぼ無傷で残った一角」という、今も歩いて確かめられる境界線を刻んだ出来事でした。