関東大震災と谷中、被害を分けた台地と低地
同じ台東区の中でも、地形の高さの違いが被害を大きく分けた。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で、現在の台東区にあたる浅草区と下谷区は大きな火災被害を受けた。浅草区はほぼ全域が焼失し、下谷区でも上野台地より東側の低地部(御徒町、入谷、根岸など)はほとんど全焼したと伝えられている。
これに対し、上野台地の上に位置する谷中地区は、火災の延焼ルートから外れ、壊滅的な被害を免れた。
崖線が延焼を止めた
低地側から発生した火災は、上野台地の崖線と、寛永寺や天王寺の広大な緑地や墓地に突き当たる過程で勢いを失った。谷中が高台にあったこと、そしてその高台の縁に寺院の広い境内が連なっていたことの2つが重なり、内側への延焼を防いだと説明されている。
この「台地の上は焼けにくい」という構図は、20年余りのちの東京大空襲でも、形を変えてもう一度繰り返されることになる。