谷中生姜と羽二重団子——「谷中」を名乗る名物の本当の産地
谷中生姜も羽二重団子も、実は台東区谷中の外で生まれた名物。
「谷中」を名乗る名物には、台東区谷中そのものではなく、隣接する荒川区で生まれたものが多い。
谷中生姜——本当の産地は荒川区西日暮里
谷中生姜は、元禄期(1688年〜)以降、「谷中本村」と呼ばれた地域の農民が栽培した葉生姜である。谷中本村は現在の行政区分でいうと、台東区谷中ではなく荒川区西日暮里1〜2丁目付近にあたる。上野台地からの水はけのよい黒土で育ったこの生姜は辛味が穏やかで、盆の時期に寛永寺の住職や商人へ贈る「盆生姜」として評判になった。文政7年(1824年)の『武江産物志』にも特産品として記載されている。
関東大震災後の市街地化にともない、大正期から昭和初期にかけて地元の生姜畑は姿を消した。現在「谷中生姜」として流通しているものは、千葉県や埼玉県の契約農地で栽培された同系統の品種で、名称だけが受け継がれている。
羽二重団子——所在地は荒川区の「芋坂」
文政2年(1819年)、植木職人だった初代・澤野庄五郎が、音無川のほとりの「芋坂」(現在の荒川区東日暮里)に「藤の木茶屋」を開いたのが羽二重団子の始まりとされる。きめの細かさが絹の羽二重に例えられたことから、この名で呼ばれるようになった。中央がくぼんだ独特の形は、丸い供物用の団子をそのまま食べるのを憚ったことと、焼いたときに芯まで火が通りやすいという実用上の理由から生まれたと伝えられる。正岡子規や夏目漱石の『吾輩は猫である』にも登場する、文学作品にゆかりの深い名物でもある。
芋坂は谷中霊園のすぐ北東に接しており、観光の回遊ルート上にあるため、谷中の名物として一体的に語られることが多い。だが行政区分としては、谷中生姜も羽二重団子も、台東区谷中ではなく荒川区に属する場所で生まれた名物である点は、押さえておきたい。