石屋と植木職人、そして旧吉田屋酒店

寺町を支えた石材業と園芸の技術、今も残る江戸期の酒屋建築。

谷中が寺町として形成される中で、その暮らしを支えたのが石材業と植木職人だった。

石工と植木職人

多くの寺院が集まる谷中には、墓石を加工する石材業(石工)が集積し、その名残は今も谷中霊園周辺の石材店に見ることができる。一方、植木職人は大名屋敷や寺院の庭園整備を手がけるだけでなく、谷中本村などで行われていた園芸・特産野菜の栽培技術にも関わっていたと考えられている。

旧吉田屋酒店——通い徳利で量り売りした店

谷中6丁目にあった「旧吉田屋酒店」は、明和6年(1769年)以前の創業と伝わる老舗の酒屋である。酒造元から樽で仕入れた酒を、客が持参する「通い徳利」で量り売りし、塩・砂糖・醤油の販売や、戦時中には配給の取次ぎも担っていた。明治43年(1910年)建築の店舗は、商品を冷暗所に保つための深い軒(出桁造り)や、大きな揚戸を備えている。昭和62年(1987年)に上野桜木へ移築され、台東区指定有形民俗文化財として公開されている。

いせ辰の千代紙

元治元年(1864年)に神田で創業した「江戸千代紙のいせ辰」は、大正12年(1923年)の関東大震災で多くの版木を失ったが、4代目らの手で約1,000種類の千代紙版木を再制作した。手漉きの奉書紙に桜の木版を手摺りする伝統技術は、谷中2丁目の店舗兼工房で今も受け継がれている。寺町の落ち着いた景観の中に、こうした手仕事の産業が今も息づいている。

出典

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