天王寺・瑞輪寺・観音寺・諏方神社——谷中の社寺群
60近い寺院が残る町の中でも、特に固有の来歴を持つ4つの社寺。
谷中には今も60近い寺院が集まっている。その中でも、それぞれ固有の来歴を持つ4つの社寺を紹介する。
天王寺——五重塔のモデルになった寺
天王寺は、もとは日蓮宗の感応寺という寺だったが、元禄11年(1698年)に天台宗へ改宗し、翌元禄12年(1699年)に毘沙門天を本尊とした。享保年間には富くじ興行を許され、「江戸三富」の一つに数えられるほど賑わった。元禄3年(1690年)鋳造の銅造釈迦如来坐像が区の有形文化財として現存する。かつて境内にあった五重塔(寛政3年/1791年再建)は幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとされたが、昭和32年(1957年)7月6日に焼失し、現在は心礎と礎石だけが「谷中五重塔跡」として残る。
瑞輪寺——家康の学問師範が開いた寺
瑞輪寺は、天正19年(1591年)に徳川家康の学問師範だった慈雲院日新上人が日本橋馬喰町に開山し、慶安2年(1649年)に谷中4丁目へ移転した。安産祈願の「飯匙の祖師」として知られる江戸十祖師の一つで、幕府御用の菓子司だった大久保主水の墓と、天保6年(1835年)建立の八角形の井戸が今も残る。
観音寺——現存する築地塀
観音寺は真言宗豊山派の寺院で、慶長16年(1611年)に神田北寺町で創建され、延宝8年(1680年)に谷中5丁目へ移転した。境内の南側に残る築地塀(練塀)は、明和9年(1772年)の火災で焼失したのち、文政年間(1818〜1830年頃)に再興されたもので、瓦と粘土を交互に積んで屋根瓦をかぶせるという珍しい構法をとる。全長37.6mにおよぶこの塀は、平成12年(2000年)4月28日に国登録有形文化財となっている。
諏方神社——創祀年代は決着していない
日暮里・谷中の総鎮守である諏方神社は、元久2年(1205年)に豊島左衛門尉経泰が信濃国の諏訪大社から勧請したと伝わり、寛永12年(1635年)に現在地へ遷座したとされる。ただし、創祀の年代については承久の乱後とする説や平安後期とする説もあり、一次史料で確定した年代ではない。本サイトでは、いずれの説も断定せず紹介する。