城東区から江東区へ|「亀戸区」になりかけた区の成立史
今の亀戸は東京都江東区の一部ですが、その区がどのように今の形になったかを知る人は多くありません。実は、亀戸の名を冠した区になっていたかもしれない経緯があります。
「亀戸区」になりかけた城東区
昭和7年(1932年)10月1日、東京市への編入にともなって、南葛飾郡の亀戸町・大島町・砂町の区域から新しい区が生まれました。この区の名前は、はじめ「亀戸区」という案が検討されていたと伝えられています。その後「小名木区」の案も検討されましたが、最終的に東京府会で「城東区」と決定されました。もし当初の案どおりになっていたら、亀戸の名を冠した区が誕生していたことになります。
深川区と合併して江東区に
昭和22年(1947年)、東京都の特別区制度への移行にともなって、区の再編が行われます。城東区会は2月21日、深川区会は2月25日にそれぞれ合併を議決し、3月15日に両区が合併して「江東区」が誕生しました。江東区の公式サイトによれば、新区名の候補には「辰巳区」「東区」「永代区」もあったといい、最終的に「隅田川の東に位置する」という地理的な意味から「江東区」に決まりました。区名の「江」は深川、「東」は城東を表しているとされます。亀戸は、こうして城東区の一部から江東区の一部になりました。
江東区の成立(模式図)。1932年に亀戸町・大島町・砂町から成立した城東区と、1878年からの深川区が、1947年3月15日に合併して江東区になりました。区名の「江」は深川、「東」は城東を表すとされます。
単独の合併ではなく、東京全体の再編だった
この年の再編は江東区だけの出来事ではありません。東京都総務局の資料によれば、昭和22年3月10日付の告諭第1号は、35区を22区へ再編する理由として、戦災による各区の人口格差の是正と、地方制度改正にともなう自治権拡充への対応の2点を挙げています。同年3月15日、東京市にあった35区は22区へ再編されました。同年8月には板橋区から練馬区が分かれ、現在の23区の形になります。城東区と深川区の合併も、この全国的な区の再編の一部として行われました。昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲による被害が、こうした区の再編を後押しした背景の一つでした。
まとめ
- 昭和7年(1932年)、亀戸町・大島町・砂町から城東区が成立。区名は「亀戸区」「小名木区」の案を経て決定された(この経緯を裏づける江東区・東京都の一次資料は未発見で、複数の紹介記事が伝える内容として紹介)
- 昭和22年(1947年)3月15日、城東区と深川区が合併して江東区が誕生。新区名の候補には「辰巳区」「東区」「永代区」もあった。区名の「江」は深川、「東」は城東を表す
- この合併は東京35区が22区(同年8月に23区)へ再編される全国的な動きの一部。告諭第1号は戦災による人口格差の是正と自治権拡充への対応を再編理由に挙げている