城東区から江東区へ|「亀戸区」になりかけた区の成立史

最終更新: 2026年9月18日

今の亀戸は東京都江東区の一部ですが、その区がどのように今の形になったかを知る人は多くありません。実は、亀戸の名を冠した区になっていたかもしれない経緯があります。

「亀戸区」になりかけた城東区

昭和7年(1932年)10月1日、東京市への編入にともなって、南葛飾郡の亀戸町・大島町・砂町の区域から新しい区が生まれました。この区の名前は、はじめ「亀戸区」という案が検討されていたと伝えられています。その後「小名木区」の案も検討されましたが、最終的に東京府会で「城東区」と決定されました。もし当初の案どおりになっていたら、亀戸の名を冠した区が誕生していたことになります。

深川区と合併して江東区に

昭和22年(1947年)、東京都の特別区制度への移行にともなって、区の再編が行われます。城東区会は2月21日、深川区会は2月25日にそれぞれ合併を議決し、3月15日に両区が合併して「江東区」が誕生しました。区名の「江」は深川、「東」は城東を表しているとされます。亀戸は、こうして城東区の一部から江東区の一部になりました。

城東区1932年成立深川区1878年〜江東区1947年〜区名の「江」は深川、「東」は城東を表すとされる

江東区の成立(模式図)。1932年に亀戸町・大島町・砂町から成立した城東区と、1878年からの深川区が、1947年3月15日に合併して江東区になりました。区名の「江」は深川、「東」は城東を表すとされます。

単独の合併ではなく、東京全体の再編だった

この年の再編は江東区だけの出来事ではありません。戦争で財政基盤が弱くなった各区を立て直すため、昭和22年3月15日、東京市にあった35区は22区へ再編されました。同年8月には板橋区から練馬区が分かれ、現在の23区の形になります。城東区と深川区の合併も、この全国的な区の再編の一部として行われました。昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲による被害が、こうした区の再編を後押しした背景の一つでした。

まとめ

  • 昭和7年(1932年)、亀戸町・大島町・砂町から城東区が成立。区名は「亀戸区」「小名木区」の案を経て決定された
  • 昭和22年(1947年)3月15日、城東区と深川区が合併して江東区が誕生。区名の「江」は深川、「東」は城東を表す
  • この合併は東京35区が22区(同年8月に23区)へ再編される全国的な動きの一部で、戦災による区財政の弱体化がその背景にあった

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