亀戸事件|関東大震災の混乱で起きた労働運動関係者の殺害
最終更新: 2026年9月18日
亀戸の名は、江戸の名所としてだけでなく、大正時代のある事件によって全国に知られることになりました。「亀戸事件」です。犠牲者数や経緯には資料によって差異があるため、本サイトでは確認できた範囲を、断定を避けて紹介します。
関東大震災の混乱のなかで
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災から数日のうち、南葛飾郡(現在の江東区・墨田区一帯)は流言や自警団の活動が広がる混乱状態にありました。この混乱のなかで、9月3日から4日ごろ(資料により9月4日から5日ごろとするものもあります)、亀戸警察署に検束されていた労働運動関係者ら少なくとも10名が、習志野騎兵第13連隊の兵士によって殺害されました。この出来事は「亀戸事件」と呼ばれています。
殺害された人たち
確認できる名前として、純労働者組合の平沢計七(34歳)・中筋宇八ら、南葛労働会の川合義虎(21歳・日本共産青年同盟初代委員長)らを含む10名が挙げられています。南葛飾地区は当時、工場労働者を中心とした労働運動が活発だった地域で、亀戸事件はその労働運動関係者が標的になった事件として知られています。
犠牲者の総数や、事件を「第一次・第二次」に分けて捉えるかどうかについては、資料によって説明が異なります。本サイトでは断定せず、確認できた名前と人数の範囲で記載しています。
1か月以上たって公表された
警察はこの事件を、発生から1か月以上たった10月10日まで公表しませんでした。翌日の新聞各紙が大きく報じ、事件は広く知られるようになります。
今も続く追悼会
江東区内の浄心寺には、事件の犠牲者を追悼する碑があります。地元では現在も毎年9月に追悼会が開かれており、2025年(令和7年)には事件から102年にあたる会が開かれました。100年を超えて追悼が続いていること自体が、この事件が地域の記憶として受け継がれてきたことを示しています。
まとめ
- 関東大震災直後の混乱のなかで、9月3〜4日ごろ、亀戸警察署に検束された労働運動関係者ら少なくとも10名が習志野騎兵第13連隊に殺害された
- 犠牲者には純労働者組合・南葛労働会の関係者が含まれる。総数や経緯には資料によって差異があり、断定しない
- 事件が公表されたのは1か月後の10月10日。江東区内の浄心寺では今も毎年9月に追悼会が開かれている