亀戸と時計産業|第二精工舎からカメイドクロックまで
天神と大根で知られる亀戸には、もう一つの顔があります。半世紀以上にわたって腕時計をつくり続けた「時計の街」としての歴史です。今の商業施設「カメイドクロック」の名前にも、その記憶が刻まれています。
服部時計店から分かれた第二精工舎
昭和12年(1937年)、服部時計店(現・セイコーグループ)は腕時計の生産体制を強化するため、腕時計部門を分離して新会社「第二精工舎」を設立しました。翌昭和14年(1939年)、亀戸に本社工場が竣工します。以後、半世紀以上にわたり、亀戸は腕時計づくりを担う町になりました。
この土地にそれ以前どのような施設があったかは、本サイトで確認できた一次情報の範囲では分かりませんでした。紡績工場の跡地だったという説を見かけることがありますが、裏づけが取れていないため、本サイトでは断定しません。
戦災を越えて、亀戸へ戻る
太平洋戦争が始まると民需の時計づくりは縮小し、亀戸工場も戦災で大きな被害を受けました。生産は疎開先の桐生・富山・仙台・諏訪の各工場に分散しましたが、昭和24年(1949年)末までに諏訪を除く工場を撤収し、ふたたび亀戸を中心とした生産体制に戻ります。昭和45年(1970年)には、第二精工舎が世界初のCMOS ICを搭載したクオーツウォッチを発売しました。
本社は移っても、名前は時計を刻み続ける
平成5年(1993年)、本社ビルは千葉・幕張新都心へ移転しました。工場が撤退した跡地には、平成9年(1997年)に商業施設「サンストリート亀戸」が開業します。しかし施設は老朽化などにより平成28年(2016年)に閉館。跡地は野村不動産グループが再開発し、令和4年(2022年)4月28日、大型商業施設「カメイドクロック」として開業しました。
施設名の「クロック」は、この土地に半世紀以上あった時計会社・第二精工舎にちなむものです。天神と大根の江戸の名所が、近代には工場の町になり、その工場の記憶が今の施設名に残っている——亀戸の近代は、城東区から江東区への区の再編とほぼ同じ時期に進んでいました。
同じ土地の変遷(模式図)。1939年に竣工した第二精工舎の本社工場は、1993年の本社移転後も工場として使われ、跡地は1997年にサンストリート亀戸、2016年の閉館を経て2022年にカメイドクロックへと変わりました。
まとめ
- 1937年設立の第二精工舎が1939年に亀戸へ本社工場を構え、以後半世紀以上「時計の街」になった
- 戦災で被害を受けたが1949年末までに亀戸中心の生産体制に復帰、1970年には世界初のCMOS ICクオーツウォッチを発売
- 1993年の本社移転後、工場跡地はサンストリート亀戸(1997〜2016年)を経てカメイドクロック(2022年開業)に。名前は第二精工舎にちなむ