浮世絵に描かれた亀戸|歌川広重『名所江戸百景』とゴッホ
亀戸の風景は、江戸の人々だけでなく、海を越えた画家たちの心もとらえました。歌川広重が『名所江戸百景』に描いた亀戸の梅と藤は、やがてゴッホをはじめとする西洋の画家に影響を与えます。浮世絵を通して、亀戸の名所をたどってみましょう。
広重『名所江戸百景』と亀戸
江戸時代の終わりごろ、浮世絵師歌川広重(うたがわひろしげ)は、江戸の名所を描いた連作『名所江戸百景』を手がけました。東京富士美術館の解説によれば、この連作の制作は安政4年(1857年)ごろで、亀戸からは「梅屋敷」と「天神境内」という二つの名所が選ばれています。
| 『亀戸梅屋舗』 | 『亀戸天神境内』 | |
|---|---|---|
| 主題 | 臥龍梅(梅の名木)・梅見の人々 | 藤の花・太鼓橋・心字池 |
| 季節 | 早春 | 初夏 |
| 見どころ | 手前に梅の枝を大きく配した近景構図 | 藤棚の向こうに反り橋を望む眺め |
『亀戸梅屋舗』の大胆な構図
『亀戸梅屋舗(かめいどうめやしき)』が描くのは、かつて亀戸天神の近くにあった梅園「梅屋敷」です。富士美術館の解説によれば、ここには龍が地に伏したような姿の名木「臥龍梅(がりゅうばい)」があり、8代将軍・徳川吉宗も訪れたほど、春の行楽地としてにぎわっていました。
この作品が美術史で高く評価されるのは、その大胆な構図です。画面の手前を横切るほど大きく梅の枝を描き、その枝のあいだから奥の梅林と見物客をのぞかせる——遠近の常識をくつがえすような近景の取り方と、赤と緑を対比させた刺激的な配色が、見る者に強い印象を残します。
広重『亀戸梅屋舗』の構図(模式図)。画面の手前を横切るほど大きく梅の太い枝を配し、その枝のすき間から奥の梅林と梅見の人々をのぞかせる、遠近の常識をくつがえす大胆な近景構図です。
ゴッホが模写した亀戸の梅
この『亀戸梅屋舗』は、海を越えて西洋の画家たちにも衝撃を与えました。富士美術館の解説によれば、後期印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホが、この図をもとに油彩で模写した作品を残していることが知られています。
日本の浮世絵が西洋美術に影響を与えた動き(ジャポニスム)のなかでも、亀戸の梅を描いた一枚がゴッホの手で油彩によみがえったことは、よく知られたエピソードです。下町の梅園の風景が、世界の美術史に足跡を残したことになります。
『亀戸天神境内』の藤と太鼓橋
もう一枚の『亀戸天神境内(かめいどてんじんけいだい)』は、亀戸天神社の初夏を描いています。垂れ下がる藤の花を手前に置き、その向こうに反り上がった太鼓橋と心字池を望む構図で、藤の名所としての亀戸天神の魅力を一枚に収めています。
この作品には、初摺(しょずり=最初の刷り)にまつわる印刷のエピソードが語られることがありますが、美術館の解説で裏づけを確認できなかったため、本サイトでは事実としては記載していません。確かなのは、藤と太鼓橋という亀戸天神の景観が、広重によって名所として描かれたことです。
亀戸天神の藤や太鼓橋は、いまも天神社のページで紹介したとおり、実際に訪れて楽しむことができます。
まとめ
- 広重『名所江戸百景』(安政4年・1857年)に亀戸の梅屋敷と天神境内が描かれた
- 『亀戸梅屋舗』は臥龍梅と大胆な近景構図で知られ、ゴッホが油彩で模写した
- 『亀戸天神境内』は藤と太鼓橋を描く(初摺の逸話は裏づけが取れず未記載)