岡倉天心と日本美術院——谷中に置かれた美術運動の拠点

東京美術学校を辞した天心が、谷中初音町の自邸に開いた研究所。

明治期の谷中には、寺町の静かな環境に惹かれた美術家や文人が集まり、今に続く文化的な足跡を残した。岡倉天心もその一人である。

谷中初音町に開かれた日本美術院

東京美術学校の校長を辞した岡倉天心は、明治31年(1898年)7月、橋本雅邦・横山大観・菱田春草・下村観山らとともに研究団体「日本美術院」を創設した。研究所は谷中初音町(現在の谷中5丁目)の天心の自邸内に建設され、同年10月に落成開院した。

五浦への移転と、跡地に残る記念公園

院展(日本美術院展覧会)の源流にあたるこの拠点は、明治39年(1906年)12月、茨城県五浦へ移転している。跡地は岡倉天心記念公園として整備され(昭和42年/1967年開園)、園内の六角堂には彫刻家・平櫛田中作の天心坐像が安置されている。同じ時期に谷中でアトリエを構えた彫刻家・朝倉文夫も、天心と同時代の芸術家である。

出典

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