天王寺——五重塔のモデルになった寺
幸田露伴の小説の題材になった塔は、昭和32年に焼失した。
谷中には今も60近い寺院が集まっている。その中で、天王寺は特に固有の来歴を持つ一つである。
感応寺から天王寺へ
天王寺は、もとは日蓮宗の感応寺という寺だったが、不受不施派に属していたため江戸幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698年)に強制的に天台宗へ改宗させられた(この際、日蓮宗の僧侶2名が八丈島へ遠島となっている)。改宗の翌元禄12年(1699年)に毘沙門天を本尊とした。元禄13年(1700年)には富くじ興行を幕府から公認され、目黒不動・湯島天神とともに「江戸三富」と呼ばれるほど賑わった(興行は天保13年/1842年まで続いた)。元禄3年(1690年)鋳造の銅造釈迦如来坐像が区の有形文化財として現存する。
焼失した五重塔と『五重塔』
かつて境内にあった五重塔は寛永21年(1644年)に初めて建立され、明和の大火(1772年)で焼失したのち寛政3年(1791年)に再建された。幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとされたこの塔は、昭和32年(1957年)7月6日、放火による心中事件で焼失し、現在は心礎と礎石だけが「谷中五重塔跡」として残る。瑞輪寺・観音寺とともに、谷中の寺町を代表する社寺の一つである。