亀戸のもうひとつの社寺|富士塚・萩寺・七福神めぐり

最終更新: 2026年9月18日

亀戸の信仰は、香取神社と天神社の二社だけではありません。江戸の富士講が残した富士塚、萩の名所として知られた寺、そして戦争で一度途絶えた七福神めぐり——亀戸にはもう少し、歩いて確かめられる社寺があります。

亀戸浅間神社と富士塚

亀戸浅間神社は、大永7年(1527年)の創建と伝わる社で、富士山の守り神とされる木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)をまつっています。安産・子育ての神として信仰されてきました。

境内には、江東区指定の有形民俗文化財である「富士塚」があります。日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃・弟橘姫(おとたちばなひめ)の笄(こうがい、髪飾りの一種)を埋めたと伝わる古い塚を再利用して築かれたもので、実際に富士山へ登れない人が、代わりに登って参拝する「富士講(ふじこう)」の信仰にもとづいています。江戸時代、こうした富士塚は各地の神社に数多くつくられました。

龍眼寺(萩寺)

龍眼寺は、応永2年(1395年)、良博大和尚の開山と伝わる天台宗の寺院です。江戸時代初期、当時の住職が諸国から百種類もの萩を集めて境内に植えたことから、「萩寺(はぎでら)」の通称で呼ばれるようになりました。江戸の名所を描いた『江戸名所図会』にも登場する、江戸有数の萩の名所です。

境内には松尾芭蕉の句碑や、歌人・落合直文の歌碑も残ります。亀戸には藤(天神社)だけでなく、萩という秋の名所もあったことになります。

戦時中に途絶えた七福神めぐり

亀戸には、七福神を6つの社寺にまつる「亀戸七福神」というめぐり方があります。

社寺まつる神
龍眼寺布袋尊
天祖神社福禄寿
普門院毘沙門天
香取神社恵比寿神・大黒神
東覺寺弁財天
常光寺寿老人

香取神社と龍眼寺は、それぞれ別の顔(勝運の社・萩寺)を持ちながら、この七福神めぐりの札所でもあります。

この七福神めぐりは、第二次世界大戦中に一時中断し、昭和53年(1978年)になって復活しました。江戸の行楽と信仰が、戦争によって一度途切れ、戦後になって地域の人たちの手で受け継ぎ直された——時計の街東京大空襲の記事で見た近代の断絶が、ここにも形を変えて残っています。

まとめ

  • 亀戸浅間神社の富士塚(江東区指定有形民俗文化財)は、弟橘姫の笄塚を再利用した江戸の富士講の遺構
  • 龍眼寺は応永2年(1395年)創建の萩寺。松尾芭蕉の句碑も残る
  • 亀戸七福神(6社寺)は戦時中に中断し、昭和53年(1978年)に復活した

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