亀戸の歴史年表|低地の開発から門前町・下町への歩み

最終更新: 2026年9月24日

亀戸の町は、川がはこんだ土が積もってできた低地に、人々が暮らしと信仰を重ねてきた土地です。古い社伝から江戸の門前町としての繁栄、そして名物や浮世絵が生まれるまでの、亀戸の歴史を年表でざっと見渡してみましょう。

亀戸の歴史の大きな流れ

亀戸の歴史は、おおまかに三つの段階で捉えると分かりやすくなります。

  1. 低地に芽生えた古い信仰:川の河口の砂州だった一帯に、武の神をまつる香取神社の信仰が芽生えます(創建年は社伝による)。
  2. 江戸の門前町としての発展:明暦の大火(1657年)後の江戸の都市づくりのなかで、天神社が現在の地に整えられ、梅や藤の名所として多くの人を集める行楽地・門前町へと発展しました。
  3. 下町の名物と文化の成熟:門前のにぎわいを背景に、船橋屋のくず餅が生まれ、近郊の畑では亀戸大根が育てられ、歌川広重の浮世絵が亀戸の風景を後世に伝えました。

年表でたどる亀戸

おもな出来事を年表にまとめました。年代には社伝・伝承によるものも含まれるため、目安としてご覧ください。

時期おもな出来事
天智天皇4年(665年)※社伝亀戸香取神社の創建と伝わる(社伝による)
天慶年間(10世紀なかば)平将門の乱の平定にちなむ「勝矢」の故事(香取神社)
正保3年(1646年)太宰府の神官・菅原大鳥居信祐が天神像を奉じて諸国を巡り、亀戸の祠にまつる
明暦3年(1657年)明暦の大火。江戸の復興のなかで亀戸一帯も町づくりが進む
寛文2年(1662年)亀戸天神社が現在地に社殿・心字池・太鼓橋を整える(正遷宮)
寛文11年(1671年)以前貨幣鋳造所「亀戸銭座」が芝網縄手から移転(江戸図に記載)
18世紀(享保年間ごろ)梅の名所「梅屋敷」がにぎわい、8代将軍徳川吉宗も訪れたと伝わる
文化2年(1805年)船橋屋が亀戸天神門前で創業(くず餅)
安政4年(1857年)歌川広重『名所江戸百景』に亀戸の梅屋敷・天神境内が描かれる
文久年間(1860〜64年ごろ)香取神社周辺で亀戸大根の栽培が始まる
明治6年(1873年)亀戸天神社が東京府社となり「亀戸神社」と称する
大正12年(1923年)関東大震災直後、労働運動関係者らが殺害された亀戸事件
昭和7年(1932年)亀戸町・大島町・砂町から城東区が成立(東京市に編入)
昭和11年(1936年)「亀戸天神社」へ改称し、現在に至る
昭和12〜14年(1937〜39年)第二精工舎が設立、亀戸に本社工場が竣工(時計の街の始まり)
昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で旧城東区一帯が被害を受ける
昭和22年(1947年)城東区と深川区が合併し江東区が誕生

それぞれの出来事は、香取神社・天神社・銭座・亀戸大根・くず餅・浮世絵・時計の街・亀戸事件・東京大空襲・城東区と江東区 の各ページで詳しく扱います。

年代の見方について

上の年表のうち、香取神社の創建年(665年)は社伝(神社に伝わる由緒)によるもので、史料で確定した年代ではありません。古い神社の創建年は伝承であることが多いため、本サイトでは「社伝によれば」と明記して紹介しています。

いっぽう、天神社の正遷宮(1662年)や船橋屋の創業(1805年)、広重の作品(1857年)などは、神社・店舗・美術館の記録にもとづく、比較的たしかな年代です。

言い伝えとして受け継がれてきた事柄と、記録で確かめられる事柄を分けて読む構えは、さらに古い時代を扱うときにいっそう大切になります。たとえば古墳の場合、宮内庁が代々の天皇の墓として管理している陵墓と、考古学が明らかにしてきた築造年代とが、必ずしも一致しないことがあります。仁徳天皇陵古墳の呼び名と被葬者 は、その代表的な例です。

まとめ

  • 亀戸の歴史は「古い信仰 → 江戸の門前町 → 下町の名物・文化」という流れで捉えられる
  • 香取神社の創建は社伝、天神社の正遷宮(1662年)以降は記録の残る出来事が多い
  • 名物(くず餅・亀戸大根)と浮世絵は、門前町のにぎわいを背景に生まれた

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