亀戸水神宮|低地の町を水害から守った祈りの社

最終更新: 2026年9月21日

地名の由来の記事で見たとおり、亀戸はもともと川や海と深く関わってきた低地の町です。その記憶を今に伝えるのが、水の神をまつる亀戸水神宮です。

水害よけに勧請された水の神

亀戸水神宮は、東京都江東区亀戸4丁目にある神社です。郷土資料や由緒によれば、創建は室町時代、12代将軍・足利義晴の治世(1521〜1546年ごろ)にさかのぼるとされています。この一帯を開いた人々が水害から逃れることを願い、水を司る神弥都波能売神(みづはのめのかみ)を、大和国(奈良県)吉野の丹生川上神社から勧請したと伝わります。

創建年は社伝・郷土資料によるもので、史料で確定した年代ではありません。地名の由来香取神社の創建と同じく、古い時代の由緒として「〜と伝わる」の形で紹介します。

延宝年間の古地図にも記載

亀戸水神宮の存在は、伝承だけでなく記録の上でも確認できます。郷土資料によれば、延宝年間(1673〜1681年)の古地図にすでにこの社が記載されているとされ、江戸時代の早い時期から、この土地の目印として認識されていたことがうかがえます。

境内には、昭和13年(1938年)に建てられた「亀戸水神森由来碑」があり、江東区の登録文化財になっています。低地に暮らす人々が、繰り返し水の神への祈りを重ねてきたことを示す碑です。

16世紀前半水害よけに水神を勧請(社伝)延宝年間古地図に記載を確認1945.3東京大空襲で甚大な被害1960再建

亀戸水神宮の年表(模式図)。社伝では16世紀前半に水害よけの神を勧請したと伝わり、延宝年間(1673〜1681年)の古地図にも記載が確認されています。昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で大きな被害を受けましたが、昭和35年(1960年)に再建されました。

東京大空襲からの再建

亀戸水神宮も、東京大空襲の被害を免れませんでした。郷土資料・Wikipediaによれば、昭和20年(1945年)3月の空襲で大きな被害を受けましたが、戦後の復興を経て、昭和35年(1960年)6月に再建されました。

戦時中に途絶え、戦後になって地域の手で復活したという歩みは、亀戸七福神めぐり(戦時中断→昭和53年/1978年復活)とも重なります。亀戸の信仰の場の多くが、同じ戦災という断絶を経験し、そのつど地域の手で受け継ぎ直されてきました。

駅名にもなった「水神」

亀戸水神宮は、亀戸香取神社の兼務社(神職を兼ねて管理する社)になっています。御朱印は香取神社でいただく形です。

この神社の名は、地名としても定着しました。東武亀戸線には「亀戸水神」という駅があり、周辺には水神小学校・水神通りといった名前も残っています。低地の町を水害から守ろうとした祈りが、今も駅名や地名として、亀戸の暮らしの中に息づいています。

まとめ

  • 亀戸水神宮は、水害よけに水の神・弥都波能売神を勧請したと伝わる社(社伝では16世紀前半)
  • 延宝年間(1673〜1681年)の古地図にすでに記載があり、江戸期から実在が確認できる
  • 昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で被災し、昭和35年(1960年)に再建された
  • 亀戸香取神社の兼務社。東武亀戸線「亀戸水神」駅など、地名にもその名を残す

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